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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/02/25

サンタ・コスタンツァ廟(Mausoleo di Santa Costanza)3 壁面モザイクの最古は

コスタンツァ廟の周歩廊天井モザイクには幾何学的な文様や葡萄唐草など、古代ローマ時代から舗床モザイクのモティーフが引き続き用いられている。
それについてはこちら  
どの宗教でも、成立して間もない頃には、以前からある美術などを借用しながら、段々と独自の美術が確立していくものである。舗床モザイクと壁面モザイクとの違いは、前者が色石、後者が色ガラスを切って、テッセラにしていることだ。

『キリスト教の誕生』は、313年、コンスタンティヌス帝のキリスト教への改宗は、個人的宗教観と政治的リアリズムが結びついて、徐々に起こったものと考えられる。313年、彼は帝国東方を治める共同統治者リキニウスと会談し、キリスト教徒に対して寛容な政策をとることを取り決めた。両帝の合意を「ミラノ勅令」というという。コンスタンティヌス帝(在位306-337年)こそ、コスタンツァやヘレナの父であった。
公認されて間もない頃に、コスタンツァ廟にそのようなモティーフがあるというのは、当時としては特異なものではなかったのだ。ところが、コスタンツァ廟にはキリスト教独自のモティーフも出現している。

『光は東方より』は、最古のモザイク壁画としてこの廟堂を紹介している。その周歩廊の半円筒状の天井と、南北に設置された2個の壁龕に、創建当時のモザイク壁画が残るという。

モーセに律法を授ける神
『世界美術大全集7西欧初期中世の美術』は、主題は球体に座す神から律法を受け取るモーセを表したものと考えられるという。

キリスト教では神を表してはならないといわれせいぜい右手が表される程度だが、公認間もない頃にはまだ厳格ではなかったのだろう。しかし、このような場面を描く最初期のため、いくら自然主義絵画が残っている頃といっても、場面そのものが完成度が高いとは言えない。
それは、このキリスト教のモティーフを囲む装飾帯の葉綱文に、たわわにみのる果実の立体感のある表現と対極にあるといってもよいだろう。球に坐る神の足だけ影があるのも妙に感じる。
見学していて、神の上着の襟が煌めいているのに気づいた。それは金箔ガラスのテッセラが使われていることを示していた。
トラディティオ・レーギス(Traditio Legis)
同書は、キリストがペテロに巻物を与え、それをもう一人の使徒パウロが称揚するいわゆる「トラディティオ・レーギス」を表したものである。この場面は4世紀後半のローマに特有のものである。
したがって南北の壁龕のモザイクは、神とキリストからモーセ及びペテロに授与された、旧約聖書時代のイスラエルの民の古い律法と、キリストの教えである新しい律法を対比させたものといえる。そして両者の一致(コンコルディア)のうえにローマのキリスト教会があるという理念を描いたものといえよう
という。

ペテロとパウロの背中側にはヤシの木が表され、その下には小さな建物がある。そして羊が4頭赤い線上に立っている。建物と羊の組み合わせというと、午前に見学したサン・クレメンテ教会の勝利の門のモザイクを思い出す。エルサレムとベツレヘムの城門から出たそれぞれ6頭の羊が、中央の頭光のある羊(キリスト)の両側に1列に並ぶ場面だ。その原型がこのコスタンツァ廟の小壁龕頂部のモザイクに表されたのだろうか。
同書は、小アプシスでは、スペースの都合上、簡略化されているという。12頭の羊は、コスタンツァ廟以前に、もう完成された図柄だったようだ。
サンタ・コスタンツァ廟はキリスト教会の壁面モザイクの最古とされている。キリスト教会以外になら、壁面モザイクはあったのだろうか。

聖ペテロと聖パウロの間に座すキリスト 4世紀後半 ローマ、ドミティッラのカタコンベ(Catacomb of Domitilla)
同書は、このモザイクで飾られたアルコソリウムは、地上のコルンバリウム(骨壺を収める小さな壁龕が数多く並べられた墓の形式で、鳩小屋-コルンバに似ている)から地下1階に降りていく階段を数段下った右側に設けられている。そもそも高価なモザイクは、質素なカタコンベ装飾のなかできわめてまれにしか採用されない技法であるといえる。このモザイクは保存状態が良くないにもかかわらず、とくにブルーと緑のニュアンスに富んだ美しい色彩をとどめる。
リュネットの主題は、玉座のキリストとその左右に聖ペテロと聖パウロの座像およびカプサ(バケツ状の巻物入れ)
という。

コスタンツァ廟と同時代の壁面モザイクだが、教会ではなくカタコンベに造られたものだ。
大きさは書かれていないが、カタコンベということもあって、それほど大きなものではないだろう。顔などの表現に使うテッセラの個数も限られるためか、どれが鼻でどれが口かわからない出来上がりとなっている。
それでも、ペテロとパウロが横向きに椅子に坐っていることや、キリストが正面を向いて右手で何かを指すような仕草をしながら球の中に坐っている様子がうかがえる。
この球は、コスタンツァ廟の「モーセに律法を授ける神」では椅子ほどの大きさだが、この絵ではキリストの全身よりも大きい。ひょっとして、このような球が、アーモンド形の光背、マンドルラへと発展していくのだろうか。
太陽神としてのキリスト ヴァティカン、ユリウス家の墓廟(サン・ピエトロ大聖堂地下)穹窿天井モザイク 3世紀後半
ユリウス家の墓廟は、ヴァティカンの墓地のなかでも最も重要な霊廟所であり、埋められたために非常に保存状態がよい。おそらく、2世紀に異教徒の家族用墓地として建造されたと考えられるが、2世紀終わりから3世紀初めにかけて、墓室内部の壁面は聖書主題のモザイクで装飾された。持ち主が替わったか、キリスト教に改宗したためであろう。
天井には、一部破損するものの、太陽神ヘリオスが、金地を背景に2頭立ての馬車を駆って登場する。ヘリオスは放射線状に光線を放つニンブスを帯びて、左肩からマントを翻す。彼の周囲には葉を広げた葡萄蔓草が一面に繁っている。他の壁面にキリスト教主題が採用されていることから考えると、天井のヘリオスもキリスト教主題として解釈する必要がある。実際、不滅の太陽神としてのキリスト、すなわちキリスト=ヘリオスという概念は初期の教父たちが好んで取り上げた主題であった。「世の光」としてのキリストが太陽神の姿を借りて表されたわけである
という。

こちらも顔が小さいので、わずかなテッセラで細かい表現をするというのは無理である。しかし、葉の描写はコスタンツァ廟のものよりも細かい。
墓廟の壁面モザイクに、コスタンツァ廟よりも100年ほど古いものがあった。しかも、ヴォールト天井は金地だった。

※参考文献
「NHK名画の旅2 光は東方より」(1994年 講談社)
「世界美術大全集7 西欧初期中世の美術」(1997年 小学館)
「知の発見双書70 キリスト教の誕生」(ピエール=マリー・ボード 1997年 創元社)
「世界美術大全集6ビザンティン美術」(1997年 小学館)