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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2010/07/06

サッカラのピラミッド複合体5 セド祭のための施設


ピラミッド複合体にはセド祭殿というものがある。現在は東周壁がないため、入口から入る前に階段ピラミッドの方を眺めるとその前側に見える建物群がその一部だ。

『吉村作治の古代エジプト講義録上』は、第2王朝の王位は、初代のヘテプセケムイ王につづいて、紀元前2787年ころ、ニネチェル王に継承されるのだが、特筆すべきは、この王が50年あまりもの長期にわたって在位しつづけたことである。
それまでエジプトの王は、在位期間は30年までというのが通例であったのだ。30年を超えて在位しつづけるには、それを正当化する理由が必要であった。そこでニネチェル王が行ったのがセド祭、すなわち王位更新祭であった。この祭は、もともとは祖霊祭として行われていたらしい。それを、儀式をつかさどる王自身が、在位延長を人々に認めさせるために利用したのである
という。

このような建物群はセド祭でどのような役目があったのだろう。式典に使う道具を収納しておく倉庫だったのだろうか。
セド祭の目的の一つは、こうして走ることにより、体力を示し、まだまだ王としてやっていけるのを証明することであったという。
セド祭で走っている図は、ルクソール東岸のカルナック神殿で見た。

セド祭の図 ハトシェプスト小祠堂北壁、ルクソール東岸のカルナック神殿至聖所北側 第18王朝(前16世紀末-15世紀前半頃)
壁面の他の部分と同様に浮彫だったのをトトメスⅢによって削られてしまった。ハトシェプスト女王が王の姿で走っている。   
ハトシェプストの腰の後ろにDを縦に3つ並べたような形が浮彫されている。ガイドさんは、競技場を3周したことになりますと言った。
同じ標がジェゼル王の階段ピラミッド、南の墓地地下通廊内の偽扉にもあった。走るジェゼル王のかかとの後ろに縦に3つ並んでいる。1000年ほどの開きがあるのに、セド祭の図というのは変わっていないのだなあ。
ところで、ジェゼル王の階段ピラミッド複合体で、セド祭に関係するものはセド祭殿だけではない。南の墓に上がると見えてくるのだが、中庭のピラミッドに近いところにDを縦に2つ並べた物(↑印)がある。そしてそのもう少し南側には石ころが散らばっている(↓印)が、そこにも同じものがあったそうで、ガイドさんは世界初の競技場と言っていた。復元図はこちら
『世界美術大全集2エジプト』は、王にとっては最も重要な式典であり、年老いた王が若返って新たな治世を開始するためのものであった。この「アピスの走行」という儀式は、セド祭で実施されるさまざまな儀式の一つであり、若返った王が走って見せることで肉体の若々しさを誇示する意味をもっている。実際の儀式では、王はただ単に爪先立って走る姿勢をとっただけであったと考えられるという。
ジェゼル王が実際に走ったわけではないらしい。

それにしてもこんな風に階段ピラミッドの近くまで行って、遺跡に腰掛けてのんびりと見学できるなんてうらやましいなあ。     

※参考文献
「世界美術大全集2 エジプト」(1994年 小学館)
「吉村作治の古代エジプト講義録上」(吉村作治 1996年 講談社+α文庫)