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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2010/04/23

イコノクラスム以前のモザイク壁画2 破壊を免れたもの

ビザンティン帝国がイコノクラスム(聖像破壊運動、726年-843年、中間期を挟む)の時代に破壊を免れたモザイク壁画がある。

アプシス・モザイク シナイ山、アギア・エカテリニ修道院 565-566年 エジプト
『世界美術大全集6ビザンティン美術』は、バシリカ式の修道院聖堂をはじめとする6世紀の建築が残っているばかりでなく、8-9世紀の聖像破壊運動時代を生きのびてきた、貴重な前期ビザンティン時代のイコンが含まれる。アプシスのモザイクは、「キリストの変容」の場面を表している。イエスはアーモンド形の青いマンドルラ(光背)に囲まれ、白い光線を発する。背景は金地で、わずかに地面が表現されているが、同主題のほかの多くの作品とは違って山は描かれていないという。

「変容」の上の壁面には窓があり、その両側のモザイク壁画は、この地にちなんだ「燃える柴の前のモーセ」と「十戒を受けるモーセ」である。モザイクの制作は565-566年で、おそらく首都コンスタンティノポリスから派遣されたモザイク職人によると考えられているという。

なぜイコノクラスムを生き延びられたのか。『光は東方より』は、シナイ山の聖カタリナ修道院にイコノクラスム以前のイコンが残っているのは、首都コンスタンティノープルにおけるイコノクラスムが及ばなかったからであるという。
「変容」と上の天使の羽、そして燃えている柴には緑色のテッセラが使われている。深緑のテッセラはイスラームにも見られたし、イスタンブールのアヤ・ソフィアにもあったが、この聖堂では明るい黄緑色のテッセラが使われている。

ギリシアのテサロニキでもイコノクラスム以前のモザイク壁画が残っている。
『ビザンティン美術への旅』は、テサロニキはコンスタンティノープルに次ぐ帝国第二の都市である。しかし恐らくそれ故に、テサロニキにはビザンティン美術の歴史を語るモニュメントが、初期から後期にいたるまで途切れることなく遺されているという。
第二の都市ならコンスタンティノポリスの次に聖像破壊運動の手が迫ったのではなかったのか。

内部モザイク テサロニキ、アヒロピイトス聖堂 5世紀 ギリシア 
聖母に捧げられたこの聖堂は、ディミトリオス聖堂に次ぐ規模の5世紀のバシリカである。大理石の円柱をつなぐアーチの内側には、それぞれ異なった意匠のモザイク壁画が描かれ、さながら文様の展示場といった風情。

見事に咲く蓮の花を表している。蓮は極楽を象徴する、という仏教思想がシルクロードを通って、遠くギリシアのキリスト教聖堂にまで伝わったものであろうという。 
アヤ・ソフィアのアーチ内側のモザイクよりも古いが、それぞれ異なった意匠を表すという点では共通している。
金地モザイクもよく残っているがバラツいているように見えるのは、テッセラが剥落したからだろうか。金に黄緑や黄色が配色されて、アヤ・ソフィアのものよりずっと明るい。
西壁モザイク テサロニキ、聖ディミトリオス聖堂 6世紀 ギリシア
聖堂西壁に描かれたモザイクパネルで、6世紀の作と考えられる。聖ディミトリオスに2人の人間が寄進をしている。

聖者の正面観と、寄進者の動的なポーズが対照的だが、この聖者はイコンに描かれた聖者であり、いわば画中画であるという。
この聖堂にこのような寄進を表したものだけでなく、聖人像など小さなモザイクのパネルがたくさんあるのは、聖職者や政治家が聖者と共に表され、あるいは子供の無事の成長を願った親が、我が子を聖者とともに描かせた。これらのパネルは、日本における絵馬と似た意味と機能を担っている。かつて聖堂の壁はこうした壁画で埋められていた。イコノクラスム(聖像破壊運動)以前の貴重な絵画という。
聖ディミトリオスの頭光と立っている台座に金のテッセラが使われている。衣服も金かも知れないが、台座の金色とは輝きが全然違う。
右の寄進者の背景は地面を表したようでもあるが、その影が緑色になっている。聖堂内部が暗いのだろうが、図全体の暗い中に黄緑色が映えている。
壁面モザイク デュレス、古代の円形劇場に設けられた礼拝堂 6-7世紀 アルバニア
デュレスはエーゲ海岸のテサロニキとエグナティア街道で結ばれた交通の要衝であった。中央の人物は、聖母マリアかと思われるがはっきりしない。両側には天使が立つ。左側の聖人は聖ステファノスである。聖人の掌が金のテッセラで描かれているのも、テサロニキの奉献モザイクに類例がある。皇帝や主教といった高位の人物ではない、個人によって作られた小規模な聖堂壁画の例として興味深いという。
聖人の掌が金色というのは解説を読むまで気がつかなかった。個人の礼拝堂なので高価な金のテッセラを背景に使うことができなかったのだろう。色の薄いところなど、ガラスではなく舗床モザイクのように石のテッセラを用いたのではないかと思うほどだ。

しかし、背景には緑色から黄緑、そして薄茶色のようなテッセラが使われ、グラデーションになるよう配置されいる。
聖堂ではなく個人のものだったので人目に付くことなくイコノクラスムを免れたのだろう。
このようにイコノクラスム期以前のモザイク壁画を見てると、美しい緑色、あるいは黄緑色が目に付く。特に金地の中に明るい緑色は映える。

イコノクラスム以前のモザイク壁画 聖像ではないので
                      →イコノクラスム以前のモザイク壁画3 ラヴェンナ

関連項目

イコノクラスム以前のモザイク壁画7 パナギア・アヒロピイトス聖堂1 モティーフいろいろ
イコノクラスム以前のモザイク壁画6 アギオス・ディミトリオス聖堂2
イコノクラスム以前のモザイク壁画5 アギオス・ディミトリオス聖堂1
イコノクラスム以前のモザイク壁画4-「ゆらぎ」は意図的に

※参考文献

「ビザンティン美術への旅」(赤松章 益田朋幸 1995年 平凡社)
「世界美術大全集6 ビザンティン美術」(1997年 小学館)
「NHK日曜美術館名画への旅2古代Ⅱ中世Ⅰ 光は東方より」(1994年 講談社)