冊子は、さらに天井石は、ベンガラを練りこみ、赤色にした粘土によって被われていましたという。
見学していた時は天井石とベンガラの層の間には段差があって、その間には彩色していない土の層があったように見えたが、このように見ると、ベンガラ層の下にある土の層は、天井石の周囲を天井石と同じ高さにするために盛った土だったのだ。

確かに丸い棒で突いたような跡が残っている。棒で土を突き固めるというのは版築では。すでに版築の技法が将来されていたのだろうか。それとも各地で普遍的に行われた工法なのか。





埋葬にあわせて副葬された器物には、玉杖をはじめとする玉製品や、鉄製・青銅製の武器類のほかに、多数の銅鏡があったようです。しかし、いずれも盗掘によって攪乱・破壊され、置かれていた位置や数量は不明ですという。
南面の積石の上部がないのは盗掘によるものらしい。それにしても不揃いな板石が平らな壁面のように整然と積み上げられている。
見学会からふた月余りの2010年1月8日、日本経済新聞朝刊に「銅鏡 国内最多81面出土」というタイトルで、副葬された銅鏡の調査結果が発表された。鏡が細片だったことについて同研究所は「破砕して埋納したのではなく、何かの理由で盗掘者が割った」とみているという。
この狭い空間で、粉々になるくらいに割ることのできるとは、銅鏡というのは見た目よりずっともろいものなのだろう。

調査を手掛けた奈良県立橿原考古学研究所は「精巧な造りで、大王級の墓にふさわしい副葬品」としている。
今回見つかった管玉には気泡がほとんどなかった。高温で鋳造した上質の中国製ガラス棒の両端から穴をあけたとみられるという。
どちらかというとこのガラスを見てみたいなあ。しかし、橿原考古学研究所附属博物館で『再発掘 桜井茶臼山古墳の成果』展が開催されているが、1月31日までとは短すぎる。
画像の中には、前方部にあった写真パネルを撮ったものもあります。
※参考文献
「桜井茶臼山古墳の調査 現地見学会資料」(2009年 奈良県立橿原考古学研究所)
日本経済新聞の記事