お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/06/26

慶州の積石木槨墳以前は

 
慶州で中央平野部に築かれた巨大な積石木槨墳よりも早い時代に築かれた墳墓には、朝陽洞遺跡や九政洞古墳がある。それらは積石木槨墳群のずっと南東の少し小高い丘陵部にあったらしい。
近くに点在する九政洞方形墳や孝昭王陵・聖徳王陵は積石木槨墳よりも後の統一新羅期のものである。九政洞古墳の航空写真はこちら 『韓国国立中央博物館図録』は、慶州朝陽洞の低い丘陵上に立地する遺跡で、青銅器時代住居址とともに初期鉄器時代・原三国時代・新羅時代にかけて各種の墳墓が調査された。
これら朝陽洞の古墳群は、文献上の三韓時代にあたる遺跡で、初期鉄器時代の伝統を受け継いで新羅の積石木槨墳に移行する過渡期的な性格を帯び、この古墳で出土する中国前漢鏡はも大同江流域の流移民が慶州地方に南下し定着した時期を示す重要な根拠になっている
という。
『韓国古代遺跡1』は、朝陽洞では、石槨墓8・木棺墓26・木槨墓13・甕棺墓20基が発掘されたことになる。このうち木棺・木槨墓は、Ⅰ型墓(木棺墓)・Ⅱ型墓(木棺墓)・Ⅲ型墓(木槨墓)に分類されている。Ⅱ型の38号木棺墓は、伴出した前漢鏡から紀元1世紀前半に位置づけられ、「瓦質土器」といわれる軟質の土器が出土した。瓦質土器としては最古の形式を示すという。 『国立慶州博物館図録』は、朝陽洞遺跡の年代推定可能な遺物は、38号木棺墓出土の日光鏡・昭明鏡・四乳鏡など4枚の前漢時代の銅鏡である。これらは漢墓の発掘結果から、すべて紀元前1世紀後半年代の遺物であることが明らかにされており、したがって38号木棺墓の年代も紀元前後の時期であることが明らかにされたという。
文字が漢字と思えない日光鏡だが、これが仿製鏡ではなく前漢のものであることは確からしい。 『韓国の古代遺跡1』は、Ⅱ-5号墓(60号墓)は木槨で、棺外から黒色磨研長頸壺2・無文土器甕1・銅製馬鐸2ほか。棺内から多鈕鏡1・青銅製把頭付き鉄剣1・漆塗木製丸棒が出土しているという。
『国立慶州博物館図録』は、木槨墓は木棺墓よりも規模の大きな長方形土壙内に木槨を設置して、その中に木棺が安置されているものであるという。
38号墓と同じくⅡ型であるが、年代が不明。もうここで木槨木棺墓が出現している。 『韓国国立中央博物館図録』は、慶州九政洞にある新羅初期の古墳で、円形の自然丘陵の頂上部に埋葬遺構を設けて、丘陵自体を墳丘化した特異な構造のものである。埋葬遺構は、地面に長方形の土壙を掘り石槨を設けたのち、その内部に木棺と副葬品を設置した形式である。
この古墳は、2基の埋葬遺構が約1mの間隔をおき南北に合葬する夫婦塚と推定されている。
北側の遺構は、長さが8m、幅1.3mで、ここからは鉄槍や環頭大刀・鉄斧などとともに短甲が出土し、夫の墳墓と推定された。なお、ここでは幾つもの瓦質土器と粗質な硬質土器がいっしょに出土して、この墳墓が、瓦質土器が本格的に硬質土器へと移行する時期である3世紀末に営造されたものであることが証明された。
南側の遺構は、長さ6mぐらいで、営造方法は北側のものと同一である。土壙底面には、長さ80㎝ぐらいの長い鉄槍数十本が敷かれていて、特異な埋葬様式を示している。
九政洞古墳は、出土遺物と立地条件から推して支配階級の墳墓であることは間違いなく、新羅の典型的な積石木槨墳よりも一時期先行する形式の古墳として注目されている
という。
『韓国古代遺跡1』は、九政洞方形墳の北東の標高100mの丘陵に近接して3基の古墳があり、2号墓(左)は木棺墓で、棺の下には鉄矛多数が棺に直交して並べられ、小口に硬質の新羅土器が副葬されていた。3号墓(右)は2号墓に平行して築かれた長さ8m、幅1.5mの長大な木棺墓である。土器とともに短甲が副葬されていた。最末期の瓦質土器と古式陶質土器が共存しており、瓦質土器から陶質土器に移行する4世紀前半ごろのものと推定されている。封土の有無については定かではないという。
時代が下がって木槨木棺墓ではなく石槨木棺墓が現れた。  これが3号墓から出土した短甲である。『韓国の古代遺跡1』は、短甲は帯状の鉄板を革で綴じあわせた、長方板縦矧革綴(たてはぎかわとじ)短甲である。頸甲(あかべよろい)とよぶべき長方形の鉄板を横に綴じ合わせたものと組み合わさって出土した。長方板の縦矧革綴はおそらく新羅で独自に生みだされた型式であるものとみられる。その背景として前述の朝陽洞出土のような板状鉄製品の製作技術が不可欠であったという。
新羅では製鉄が盛んだったようだ。 それぞれの文献で年代に多少の違いがあるが、これらが巨大な積石木槨墳へと発展していくのだろうか。

※参考文献
「韓国の古代遺跡1 新羅篇(慶州)」(森浩一監修 1988年 中央公論社)
「韓国中央国立博物館」(1986年 通川文化社) 
「国立慶州博物館図録」(1996年 通川文化社)