南山三陵渓の如来坐像は首がないだけでなく、僧の着る袈裟のような着衣で気になっていた。如来ではなく、高僧の像ではないかとさえ考えた。また、袈裟の紐の表現は丁寧だが、石窟庵の如来坐像と比べると膝の表現が人体ではないようだ。
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五尊仏坐像の中尊 唐・貞観15年(641) 河南省洛陽市、龍門石窟賓陽南洞
『世界美術大全集東洋編4隋・唐』は、魏王泰が亡くなった母の文徳皇后を追慕して奧壁に五尊像を彫り出した。中尊は高さが8m余りあり、方形宣字形台座に結跏趺坐している。衣は僧祇支(下掛)、大衣(袈裟)、偏衫(覆肩衣)をつけて、大衣の端を左肩から下がったつり紐に結んでいる。像は四角張った顔、円筒形の首、方形の厚板のような胴体、平たい台のような膝など、隋様式特有のブロック状の造形表現がなお顕著である。しかし手の表現はやわらかいという。確かにこなれない表現で、唐時代のものと思えない。
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両膝が出ているが、結跏趺坐したとは思えない表現である。
賓陽南洞と山東は意外と密接な関係にあった。山東省済南の南郊外にある神通寺千仏崖には、 ・・略・・ 「趙王福造阿弥陀仏坐像」などがある。これら造像主のうち、清州刺史として赴任した趙王福は太宗の第13子 ・・略・・ これらの仏像はいずれも大衣の端を紐でつっているのはもちろん、四角張った顔、肩の張った胴体が共通して同一の様式系統を示すとともに、趙王福造像はいっそう丸みを帯び、進んだ様式を示しているという。
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※参考文献
「世界美術大全集東洋編4隋・唐」(1997年 小学館)