鬼ノ城(きのじょう)は岡山県総社市にある古代山城で、国指定史跡としての名称は鬼城山というらしい。案内リーフレットによると、660年に朝鮮半島の古代国家である百済を、唐・新羅連合軍が滅ぼした事件を契機に、朝鮮半島へ進出していた大和政権は(661~663)、白村江の戦い(663) で唐・新羅連合軍に大敗しました。敵国の侵攻に備えるため、西日本の要所には大野城をはじめとする朝鮮式山城を築城したことが『日本書紀』に記されています。一方、記録にはありませんが、朝鮮式山城と同種遺跡の古代山城(神籠石-こうごいし-系山城)が16城あり、鬼ノ城もその一つと考えられています。
鬼ノ城は吉備高原の南端に位置し、標高約400mの鬼城山に築かれています。眼下には古代吉備の中心地であった総社平野や児島半島、そして四国山脈も遠望できるという。大野城は福岡県大野城市に築かれた山城(同市教育委員会作成の大野城跡に詳しく出ています)。
狭い山道を車で上るとビジターセンターが右側に見えてくる。

道は直登とカーブの2コース用意されているが、前を行く人と比べてみたが、どちらを歩いてもあまり変わらないようだった。






説明パネルによると、日本の古代山城では、初めて具体的に確認された特殊な施設です。中国の城郭でいう「馬面(ばめん)」、朝鮮半島での「雉(ち)」に当たります。 ・・略・・ 最高所の鬼城山・西門と一体となって、強固な防御ゾーンを形成しているという。
馬面と言えば平遥の城壁にあったけど、時代は明だった。あまりにも規模が違い過ぎるなあ。

角楼から鬼ノ城を巡るコースを時計回りに歩いてみよう。 10:56


※参考文献
鬼ノ城案内リーフレット (総社市教育委員会文化課 2007年)
※参考サイト
大野城市教育委員会の大野城跡