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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/03/07

人面と獣面で一対の鎮墓獣


武人が鎮墓獣に?で唐時代の人面と獣面で一対となった鎮墓獣を取り上げたが、日本の美術展で展観されていたこのタイプの鎮墓俑は、よく似ているなあと思っていたら、新疆ウイグル自治区博物館蔵の同じ鎮墓俑ばかり見ていたことがわかりました。また、好古老さんのコメントに「唐の煌びやかな鎮墓獣」という言葉があり、このタイプ以外にも鎮墓獣があったのかと探してみました。そして、このタイプで北斉のものも見つかったので、同記事の補足としてとりあげることにします。

32 鎮墓獣 加彩 両方とも高30.0㎝ 北斉(550-577年) 個人蔵
『中国古代の暮らしと夢展図録』は、2体は顔面を除くとほぼ同じ造形である。前脚を伸ばし、後ろ脚を折り曲げて腰を下ろす。背には火焔形のたてがみが三ヶ所付く。顔は前面を向く。人面鎮墓獣は、口を閉じて髭を生やし、大きな目と耳を持つ。獣面鎮墓獣は、開いた口から舌と牙をのぞかせ、鼻の孔を大きく開けている。想像上の獣であるが、ネコ科の動物をモデルにしていると思われるという。

出土地が明記されていないが、北斉ということで、おおまかに言って、当時の中国の北東部のものだろう。北斉時代は仏像も衣文のほとんど表されない、端正なものが流行したが、この鎮墓獣もその流れをくみ、控えめな表現となっているようだ。
背筋に並ぶのが「火焔形のたてがみ」とは。また一対で阿吽になっている。33 獣面鎮墓獣 加彩、金銀貼 高51㎝ 唐、顕慶3年(658) 寧夏回族自治区固原県南郊史道洛墓出土 固原博物館蔵   
『中国 美の十字路展図録』は、正面を見据えて岩座に蹲踞する。口を大きく開き、墓への侵入者を威嚇するようだ。歯列には銀箔が貼られ、その上から墨描きで歯を描き分ける。肩から側頭部にかけて紅、緑、白で彩色された羽がつき、その先端には金箔が貼られる。胸部から腹部にかけても金箔と銀箔の帯が貼られる。銀帯には墨描きで斜線が、金箔には豹柄の文様が施される。史道洛墓からは人面鎮墓獣も出土した。それぞれが鎮墓俑と組み合わさって、墓室の入口付近に置かれていた。
史道洛はソグド人の後裔であり、祖先は中央アジアの史国に住んでいた
という。

獅子のたてがみではなく、羽とされている。
また、一緒に出土した人面鎮墓獣と一対かと思ったら、「それぞれが鎮墓俑と組み合わさって」ということだった。どんな鎮墓俑との組合せだったのだろう。
墓主が史国(キッシュ、現シャフリサブス)から移住したソグド人の子孫ということで、イラン系である。そういう風に見ると、その像はトルファン出土の3よりも「深目高鼻」のような気がしてきた。

固原は西安と河西回廊の入口蘭州との間に位置する。

『魏晋南北朝壁画墓の世界』は、固原という町は海抜およそ1600メートルの高原にあり、北朝と隋唐時代では、長安と河西回廊をつなぐ要地であった。五胡十六国時代、匈奴族劉氏の前趙、羯族の後趙、氐族の前秦、羌族の後秦、匈奴族赫連氏の夏国は、相次いでこの地域を支配し、平涼郡・高平城を置いた。 ・略・  高平鎮の南東に、北魏前期の古墳から古代高車族と見られる騎兵・歩兵俑が出土しており、その兵士達は中央アジア人種の顔つきであった。県城の南にある北周の古墳から、ビザンチン風の鍍金銀瓶・ササン朝ペルシアの切子ガラス碗が発見され、南西には隋唐時代にソグド系貴族史氏の墓地が分布している。数々の遺品が当地の繁栄ぶりを物語っているという。
要衝の地であり、各国が手に入れたい土地だったようだ。そのような土地で、様々な要素が加味されてこのような像になったのだろうか。34 鎮墓獣 土、金、彩色 高51㎝幅24.6㎝奥行18.8㎝ 唐時代(8世紀) 陝西省西安市西北政法学院34号唐墓出土 西安市文物保護考古所蔵
『中国国宝展図録』は、鎮墓獣は、中国において、墓の中に埋葬された獣形の神像のことである。災厄をもたらす悪魔などを退けることを目的として、およそ紀元前6世紀以降に盛んに制作された。時代によっていろいろな姿の作例があるが、唐時代の鎮墓獣は、ここに見るように、尻を地にすえ、前足を突っ張り、胸を張って正面を見すえるという姿をし、人面をもつものと、獣面のものとの一対で作られることが多い。
頭上に長くのびた角、両肩から火炎のように立ち上がった羽、あるいは人面に見るような、顔の左右に大きく張り出した耳など、一種奇怪ともいえる特徴を備えているのは、邪悪なものに打ち勝つための強大な能力を象徴したものであろう
という。

盛唐ともなると、京劇にでも出てきそうな鎮墓獣になっている。角もすごい。このように様々な姿に表された鎮墓獣であるが、33では「墓への侵入者を威嚇する」で、墓泥棒を侵入させないためのものということかと思うし、34では「悪魔などを退けることを目的として」で、被葬者を守るためということかとも思う。

※参考・引用文献
「中国古代の暮らしと夢展図録」 2005年 発行は様々な美術館
「中国 美の十字路展図録」 2005年 大広
「中国国宝展図録」 2005年 朝日新聞社
「魏晋南北朝壁画墓の世界」 蘇哲著 2007年 白帝社アジア史選書