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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/03/02

石造の鎮墓獣は後漢からあった



地上の鎮墓獣はで六朝(222-589年)で始まったと思っていた、墓参道に石獣を置くという習慣が、後漢(後23-225年)にもあったことがわかった。以下の図版及び解説は『世界美術大全集東洋編2秦・漢』より。

23 獅子 石造 高124㎝ 後漢、建和元年(147) 山東省嘉祥県武氏祠 嘉祥県文物管理所蔵
六朝以後流行する墓地参道石獣の先駆け的存在である。 ・略・
石獣は墓の入口を示す石闕とセットで作られるのがふつうで、石獣は石闕の前に置かれた。やはり鎮墓獣として悪霊が墓域に侵入するのを防ぐためであり、以後これが定式化して、清朝にまで及ぶ墓前彫刻の先例をなしたのである。
武氏祠の石獣は制作の由来が明確で ・略・ 石闕の銘より、石獣の名前は「師子」と明記されている。
たてがみが顔を覆い明らかにライオンを原型としており、頭部を大きな獅子頭に作り、脚も太く、どっしりとヴォリューム豊かである。前右脚は小獣を転がしている。獅子の鎮墓獣は当時の流行で、ライオンは前漢時代にすでに将来されており、後漢時代にはかなり一般的になっていたものと思われる
という。

この獅子には翼も角もないようだ。そして舌も外に垂れていない。24 辟邪 石造 高109㎝166㎝ 後漢(23-225年) 河南省洛陽市孫旗屯出土 洛陽石刻芸術館
辟邪とする説があり、浙江省出土の神獣帯鏡に一角をつけ虎に似た体つきの動物図の傍らに「辟邪」の題字があるのに基づく。ここではこの説に従い、この二角獣も辟邪としておく。
この辟邪の特徴は虎を原形にするだけではなく、頭頂に角が2本あって、あごひげをたらし、肩に翼が生え、長く太い尾を有することである。これが中国の伝統を踏まえた鎮墓獣といえる。口を大きく開けて目を怒らし、長い尾を地につけて、鋭い爪の四足で踏ん張った姿はじつに力強さを感じる
という。

こちらはたてがみがないからか、細身だからか、虎が原形という。角と翼があり、顎の下に垂れているのは舌ではなく、あごひげらしい。25 石獣 石造 高105㎝ 後漢後期(2世紀) 陝西省咸陽市西郊沈家村付近出土 西安碑林博物館蔵
後漢の鎮墓獣に見られる獅子型と虎型を折衷したような形をしており、これは体型は虎に近いけれども顔の周囲に控えめにたてがみが表現されて獅子に似ている。また肩部に翼がないのも獅子型に近いといえる。とくにこの背面のたてがみ表現は力強く、右脚も23の
武氏祠石獅子と同様に小獣をつかんでいる。 ・略・ 時代の推移とともに図像が混乱するのはまま見られることであるという。

この像も24同様細身であるが、線刻でたてがみを表している。角も翼もないらしい。26 石獣 石造 高110㎝長190㎝ 後漢、建安14(209)年 四川省雅安市姚橋高頣墓
あごひげと翼はわかるが、たてがみと角がよくわからない。背筋の盛り上がって尾まで続くものは、犀を原型とした鎮墓獣はの16「陶製の犀」・17「鎮墓獣」に繋がるもののように思う。このように後漢に出現した石獣は、南朝のもののように巨大ではない。獅子にしても、虎にしても舌を出したものはなかった。また中国に生息するという虎は、殷時代、二里岡期(前16から14世紀)の「龍虎尊」に登場する。
では渡来系である獅子は何時頃中国に来たのだろうか。

27 銀象嵌有翼神獣 銅製 高24.4㎝長40.1㎝ 戦国中期(前313年頃) 河北省平山県中山王さく(あまりにもややこしい字のため説明不能)墓出土 石家荘市、河北省文物研究所蔵
『世界美術大全集東洋編1先史・殷・周』は、力強い獣の姿である。爪先を立てて四肢を踏ん張り、頭をもたげて右方をにらむ。左右の脇から長い翼が出ている。頭を右に向けた2体は副葬品を収めた東庫から、左に向けた2体は西庫から、計4体発見された。 ・略・
銀の幅のある線による渦が随処に配置され、空間を埋めている。翼の先なども銀糸によって羽毛状に表されている。 ・略・
現在知られているもつとも早い有翼獣の例といってよいであろう。後代の天禄、辟邪の先駆である。グリフォン、あるいは有翼獣は西アジアでは前2千年紀から知られており、その後ギリシア世界やスキタイなどにも広まった。南シベリア、山地アルタイのパジリク古墳群の出土品にはグリフォンが表されている。中山国の例はこのような西方からの影響が、中国にまで到達したことを示すものかもしれない
という。

また、発見されたのが他の鎮墓獣のように入口近くではなく、副葬品を収めた倉からであったことがはっきりしている。
これまでの石造の鎮墓獣と比べるとかなり小さなものだが、これなら飛ぶかもと思うくらい大きな翼を持ち、あごひげは全くなく、角があるかどうかよくわからない。
このように辟邪としては虎の方が古いのかと思ったら、それさえ、外来の有翼獣の方が先だった。
※参考文献
「世界美術大全集東洋編1 先史・殷・周」 2000年 小学館
「世界美術大全集東洋編2 秦・漢」 1998年 小学館