ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2007/01/12
騎馬像を探して遡る1
中国に騎馬の技術が伝わったのが いつ頃かはわからなかった。騎馬軍団が形成される前4世紀後半よりも前のことだろう。中国最古騎馬像はに示した騎馬俑がいまのところ中国最古のものとしたら、夷狄の騎馬像はどのようなものなのだろうか。
当時の中国の周辺には騎馬像は見つからなかった。そこで、もっと範囲を広げて騎馬像をみていくことにする。
1 樹下戦士文帯飾り板 金 スキタイ・シベリア ピョートル・コレクション エルミタージュ美術館蔵 前4世紀
樹下で休む人々が連れている2頭の馬は鞍をつけている。木に掛けているのは弓入れ(ゴリュトス)2 闘うスキタイ戦士装飾櫛 金 ウクライナ、ソロハ古墳出土 エルミタージュ美術館蔵 前4世紀前半
2頭の馬にはどちらも鞍がないので、1より古いと言ってよいのだろうか。
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、鎧と兜はギリシア風であるが、筒袖の上着とズボン、紐を足裏から足の甲に回して縛る靴などの衣装はスキタイ風 ・略・ 血が滴り落ちるところまでリアルに表現されているという。
兜と鎧だけでなく、この写実的表現はギリシア風に違いない。ソロハは黒海の北側に位置しているので、当時黒海北岸に植民都市を築いていたギリシア人が作ったものだろう。
3 騎馬人物小像 銀 前5世紀頃
『古代バクトリア遺宝展図録』は、膝までのチュニックを着け、肩に短いケープをかけている。頭部に刻まれた線から、頭飾をつけていたと想像される。脚は剥き出しか密着したズボンを着け、短いブーツを履いている。馬はアラビア種の形態で、手綱は短く引かれて顎を引き、あたかも旗手に停止させられたかのようであるという。バクトリアで出土したものだろう。
2はヘレニズム以前にギリシアの写実的な表現が南ロシアで見られ、あるいは好まれ、3はヘレニズム期にはギリシア人の国が建国される地のそれ以前の人々の表現ということになる。4 バクトリア遺宝の奉納板 金 前5-前2世紀
『バクトリア遺宝展図録』は、騎兵の姿が押し出しと線刻で表されている。騎兵は槍を右手に持ってさしあげ、手綱を左手に執って左方に疾駆している。騎兵は有鬚で短いチュニックを着ている。馬の臀部には鋸壁文型の装飾をつけている。尻尾には特殊な結び方が見られるという。
鋸壁文型の装飾というのは鞍の後ろに付けたものなのか。鞍はまだなく、こういう装飾だけがあったのだろうか。5 王権神授を表した壁掛け フェルト スキタイ・シベリア パジリク5号墳出土 エルミタージュ美術館蔵 前5世紀末-前4世紀初
この壁掛けを図版で初めて見た時、現代に作られたものかと思った。絵本に出てきそうな騎馬像だ。汚れや破損がなければ、紀元前に作られたものだとは信じられないだろう。
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、上着はミリタリールックのようにぴっちりしており、ズボンも細い。腰にはスキタイに典型的な弓矢入れ(ゴリュトス)を下げている。馬には面繋(おもがい)、胸に胸繋(むながい)、尻に尻繋(しりがい)を装着し、面繋と胸繋には勾玉のような装飾がついている。胸繋と尻繋はクッションのような軟式鞍に繋がれているが、腹帯は見えないという。
時代のかなり限定されるこの作品に鞍が表されているのは興味深い。そして同時代にパジリク1号墳でフェルト製の鞍が出土している。ちなみにパジリクは、当ブログに度々取り上げている新疆ウイグル自治区の中心都市ウルムチの北方約500kmあたりに位置しているので、2のソロハとはかなり離れている。
また、この壁掛けと共に出土したのは大きな車輪のある馬車だった。草原地帯を移動するのに便利らしい。
高車と言えば、東アジア史データは、南北朝時代、高原西部~ジュンガリアに拠っていたトルコ系遊牧民。史書には“高車はもと狄歴を称す。北方では勅勒と呼び、中国では高車丁零と呼ぶ”とあり、丁零の後裔で、高輪の車を使用していたので高車と呼ばれたという。
ずっと後に現れる部族。乗り物としての「高車」の方がずっと早くからあったのだ。スキタイはイラン系遊牧騎馬民族なので、子孫ではない。6 キージの壺 プロト・コリントス式オルペ ヴェイイ出土 ローマ、ヴィッラ・ジュリア美術館蔵 前640-630年頃
「世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック」で水田徹氏は、騎馬隊にはそれぞれに色分けされた予備の馬を連れているという。
すでに騎馬隊があったことがわかる。鞍はつけていない。乗っている馬と二重に予備の馬が色違いで表されているのだが、1のスキタイ・シベリアの2頭の馬の脚の表し方との違いが面白い。出土地はイタリアだが、製作はギリシア。7 青銅馬上戦士像 イラン、ギーラーン州出土 前8-7世紀 中近東文化センター蔵
イランでは鞍なしてこの時代馬に乗っていたのだなあということしか言えないなあ。
※参考文献
「古く美しきもの」 1993年 中近東文化センター
「世界美術大全集東洋編15中央アジア」 1999年 小学館
「世界美術大全集3エーゲ海とギリシアアルカイック」 1995年 小学館
「バクトリア遺宝展図録」 2002年 MIHO MUSEUM