福岡の友人が教えてくれたのは宝満山を売っている梅園(宝満山ふたたび参照)と、もう一軒、梅ヶ枝餅を売る天満屋だった。 菓子器 織部角皿 窯印ム
九州国立博物館に行くというと、通り道なのでとこのお店を教えてくれたのだった。
九博を見た帰りに行くと、ちょうど西鉄の踏切手前の左側で寄りやすかった。
買ったら熱々だった。続きに梅園に行きたかったので太宰府駅前に車を停めたら、駅前広場を取り囲むように、たくさんの梅ヶ枝餅のお店が並んでいた。その友人は「味はまあまあだけど」と言っていたが、あっさり味で私は気に入っている。(写真はちょっとピンボケ)
太宰府museumに梅ヶ枝餅の由来が載っていた。
梅ヶ枝餅とおばあさん
太宰府の名物、梅ヶ枝餅は、その昔、菅原道真を募うおばあさんのやさしさから生まれたものです。
平安時代、無実の罪で大宰府に左遷された道真は、ある時、刺客に襲われて近くの麹屋に逃げ込みました。罪を言い渡されてやってきたものをかくまえば自分にも咎(とが)が及ぶかもしれないというのに、その家のおばあさんは、道真をもろ臼の中に隠し、その上に洗ったばかりの腰巻きをかぶせて刺客の目をごまかしたのです。
道真の命の恩人ともいえるこのおばあさんは、その後もこっそり配所の館にいき、不自由な暮らしをする道真のお世話をしたといいます。その時、麹の飯を松の葉(梅の枝)に添えて差し入れたものが、今に伝わる梅ヶ枝餅のおおもとなのです。
後におばあさんは、もろ尼御前(浄妙尼・じょうみょうに)とよばれ、人々に敬われました。道真の配所の館跡といわれる榎社の背後には、もろ尼御前を祀る社があります。道真は死後"天神様"としてまつられるようになった後も、秋の神幸式の折には命の恩人である浄妙尼の祠をお参りに訪れます。この素朴なお餅に、菅原道真までさかのぼる由来があるとは知らなかった。
また、「この太宰府museum」のページの下にある「戻る」をクリックすると、「伝説」というページになる。もう一度「戻る」をクリックすると「目次」のページになる。その中の「石造物」をクリックすると出てくる目次の中に「宝満山磨崖梵字仏」がある。
あれま「宝満山」に戻るのかとクリックすると、その磨崖梵字仏の写真と説明が出てくる。驚いたのは、太宰府天満宮の裏山なので、低いと思っていた宝満山が標高800mもあることだ。