ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2013/05/07
ボストン美術館展4 一字金輪像
ボストン美術館展は第1室が仏画だった。照明を落とした中で、あまり大きいとは言えないそれらを鑑賞していくと、それぞれに特徴を持つ作品群であることがわかってきた。
一字金輪像 絹本着色 縦117.9横78.5 鎌倉時代(13世紀初) 1911年寄贈 フェノロサ・ウェルドコレクション
同展図録は、密教では、全てを悟る智慧の徳を、その智慧の宿る仏の頭頂になぞらえて人格化した仏頂尊と呼ばれる一群の仏たちを説く。本図はその仏頂尊の中でも最も優れた力をもつ一字金輪仏頂を描いたものである。さらに本図は金剛界大日如来と同じ印(智拳印)を結ぶので、大日如来と同体の大日金輪と呼ばれる像である。
白い蓮華座に座す本尊は火炎光背を負っており、神秘的なエネルギーを放つさまを暗示しているという。
彩色鮮やかな仏画の中で、光背以外は白描画のような仏画だが、じっくりと眺めていると、着衣にはこれまで見てきた截金の文様に満ちていた。
頭光の下は静かな仏画だ。着衣の文様は墨線か、それとも銀の截金か。
条帛には立涌文から変化したと思われる文様で埋め尽くされている。
この文様は、すでに東寺旧蔵十二天図(平安時代、1127年)の羅刹天の胴に巻いた紐に同じものが見られる。『日本の美術373截金と彩色』は渦文入り立涌文と呼んでいる。
立涌文についてはこちら
条帛の裏側は截金の地文には見られなかった雲文のようなもので埋め尽くされている。
これらの線には肥痩があり、銀截金が硫化して黒くなったのではないことがわかる。
左脚を覆う衣を上から見ていくと、円文繋ぎとでもいうような文様で、中央に三角形のメシベが4つ、外側をオシベが一周し、更に外側に円内いっぱいに何枚かわからない花弁が描かれている。
この円文というのは、東寺旧蔵十二天図中羅刹天の足袋にみられたものが発展したのだろう。二重円繋文とでも呼べばよいのだろうか。
円文についてはこちら
次は亀甲繋文。ここにも三角形が4つ配されている。おそらく、截金なら菱形にしたものを、一つ一つ描かねばならなかったために、描き易い三角形にしたのではないだろうか。
亀甲繋文についてはこちら
膝頭にあるのは雷文?『日本の美術373截金と彩色』は、雷文繋ぎ文としてる。
雷文繋ぎ文については次回。
他には卍繋文もみられ、それぞれの文様の間には、連珠文、パルメット唐草文などの文様帯、そして二重鋸歯文のような文様帯もあるなど、截金による文様が筆で描かれている。
卍繋文についてはこちら
金の截金があるとしたら、垂れ下がった円文繋ぎの紐の輪郭や衣文、あるいは蓮台の蕊くらいしか見当たらない。
この一字金輪像は高山寺の仏眼仏母像とよく似ているなあと思っていた。
仏眼仏母像 絹本着色 縦197.0横127.9 鎌倉時代(12世紀) 京都高山寺蔵
『王朝の仏画と儀礼展図録』は、仏眼仏母(仏眼尊)は一切を見通す智の力を尊格化した尊像である。これを本尊とする仏眼法は息災・延命などに効果があるとされる。この画像は有名な高山寺明恵の念持仏であり、画像の余白に明恵直筆の賛文が記されている。私的修法の代表格といえようか。
画像は大白蓮華に獅子冠を戴き白の着衣をまとって端然と坐る姿である。白色に包まれた像容は平安仏画とは違った清新さを醸し出している。着衣線や蓮弁には截金ではなく金泥を用い、冠や装身具も裏箔として色調を損なわないように心掛けている。意志的表情や引き締まった体軀が緊張感をもたらしているという。
墨線ではなく金泥だった。
また、『日本の美術33密教画』は、顔貌は面長で鼻梁に二条の線を引き、彩色も全般に白い乾いた感じの胡粉地で、自身白衣の幽玄な白の色彩感など、宋仏画に通うところがある。細勁な描線は藤原風の優雅さには欠けるが、伝統的な作風を踏襲しているという。
着衣の文様がかすかに残っている程度なので、非常にわかりにくいが、ひょっとすると裳には新しい雷文繋ぎ文が表されているのかも。
蓮台に垂れた紐は二重菱繋文らしい。
それにしても、金というよりも硫化した銀に近い色だ。
ところが、銀の截金でなければ墨で描いたのだろうと思っていたこれらの文様は、銀泥によるもという説もある。
『日本の美術373截金と彩色』は、銀截金は、感覚あるいはイメージとしては太陽の明るさとに対して、月の光りの小暗さを想起させる。平安時代後期12世紀の世紀末に輝かしい金に対して控えめな奥ゆかしい銀が荘厳美に加えられたことは興味深い。銀泥文様は白あるいは淡紫の下地に描かれるが、これは黄あるいは金泥の下地に截金を置くのと同じ効果を求めたものであろうという。
確かに銀泥で描いたように見える。この文様は法華寺阿弥陀三尊像うち勢至の条帛にある五重矢筈形斜格子文と同じだ。
縦に走る衣文線は裏側から金の截金を置いた裏箔という手法だろうか。
金泥や銀泥で文様を描くというのは、截金が技術的に難しいからか。それともただの流行なのか。
つづく
雷文繋ぎ文についてはこちら
関連項目
メアンダー文を遡る
卍繋文の最古は?
ボストン美術館展8 法華堂根本曼荼羅図4 容貌は日本風?
ボストン美術館展7 法華堂根本曼荼羅図3 霊鷲山説法図か浄土図か
ボストン美術館展6 法華堂根本曼荼羅図2菩薩のX状瓔珞
ボストン美術館展5 法華堂根本曼荼羅図1風景
雷文繋ぎ文
ボストン美術館展3 如意輪観音菩薩像
ボストン美術館展2 普賢延命菩薩像
ボストン美術館展1 馬頭観音菩薩像
東寺旧蔵十二天図10 截金9円文
東寺旧蔵十二天図6 截金5立涌文
東寺旧蔵十二天図5 截金4卍繋文
東寺旧蔵十二天図4 截金3亀甲繋文
※参考文献
「ボストン美術館 日本美術の至宝展図録」 2012年 NHK
「ボストン美術館所蔵 日本絵画名品展」 東京国立博物館・京都国立博物館 1983年 日本テレビ放送網株式会社
「日本の美術373 截金と彩色」 有賀祥高 1997年 至文堂
「王朝の仏画と儀礼 善をつくし 美をつくす 展図録」 1998年 京都国立博物館
「高山寺展 明恵上人没後750年図録」 1981年 朝日新聞社