ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2010/05/28
彩釉の容器にも輪郭線
彩釉レンガは前12世紀以来メソポタミアの建物を飾ってきたが、それらを探している内に、彩釉壺というものを見つけた。
彩釉壺 イラク、アッシュール出土 陶器 高10.0㎝口径4.7㎝ 前8-7世紀 大英博物館蔵
『メソポタミア文明展図録』は、アッシュルからは、青緑色、黄色、オレンジ色、白色などで彩釉した小型の壺が発見されているという。
菱形に近いロータス文のようなものが肩を巡っている。花弁の輪郭線は白く、色ははみ出したり滲んだりしていない。
牡牛文の壺 前8世紀頃 イラン、ジヴィエ出土 施釉ファイアンス 高43.5㎝口径11.0㎝ メトロポリタン美術館蔵
こちらは黒の輪郭線で、肩に4色のロータス文、胴に上下を黒線で区切って、植物と牛のパターンが、おそらく4回繰り返されている。
ジヴィエからは施釉レンガが出土していて、釉薬だけでなく輪郭線まで移動しているようなものだが、この壺は同じ場所から出土したものとは思えないほど完成度が高い。
タイルのように平たいものならば、水平に置いて焼成すると釉薬が流れることはないだろうが、立体的なものなのにこの壺は釉薬が流れていない。ファイアンスという胎土が高温で溶けた釉薬が垂れるのを防ぐ性質があるのだろうか。上のアッシュール出土の彩釉壺も陶器ではなくファイアンスかも。
青釉尖底壺 イラン、ニシャプール出土 ファイアンス 高22.7㎝ 前8-7世紀 岡山市オリエント美術館蔵
同館ホームページは、底が尖った青い地色の壺。肩の部分にはエジプトにはじまるスイレンの花びらの文様、そして、その下には横に連続する矢羽根文様が描かれている。イラン北西部から出土したファイアンス製品。ファイアンスとは粘土の代わりに石英の粉を練ったものに釉をかけた焼き物。当時の釉が粘土からはがれやすかったために行われた技法という。
図版の前1000-800年頃から、ホームページでは前8-7世紀へと下がっているのは、研究が進んだからだろう。
ニシャプールはイラン東北部にある。アッシュールからニシャプールまでかなり広範囲で同じようなファイアンス製の壺が出土している。肩にロータス文があり、アッシュール出土の壺以外は輪郭線は黒い。日用品の土器ならばそれぞれの地で焼かれただろうが、このような彩釉壺は生産地が同じで、隊商によって運ばれたか、あるいは贈り物にされたのかも。
水平のほぞをもつ畝のある小物入れ メソポタミア? ファイアンス(石英フリット) 高さ7㎝直径12.9㎝ 前14-12世紀 ルーヴル美術館蔵
『メソポタミア文明展図録』は、ファイアンスは前4千年紀以後メソポタミアで普及していたが、前14世紀から12世紀の間にシリア・パレスチナの地中海東岸地方の職人が専門に生産するようになった。小物入れあるいは美顔料箱は、エジプトからユーフラテス川中流域のマリを経て、メソポタミア、すなわちアッシュールに至るまで、当時非常に需要があった。
胴の周囲は常に花のモチーフで飾られたが、それは成型した花弁の浮彫だったという。
白と黄色の縦縞に見えるが、よく見ると黄色釉の両端には白い線が見え、白色には緑色っぽい釉が剥落したのではないかと思うような痕跡がある。
彩釉レンガには前12世紀よりも以前から黒い輪郭線で色釉を区切るということが行われてきた。上の彩釉容器には白い輪郭線が認められる。
彩釉壺が先か、彩釉レンガが先かわからないが、このように見ていると、どちらも同じようなころに技法が生まれ、お互いに影響しあってきた。というよりも容器もレンガも同じ工房で作られていたのかも。
※参考サイト
岡山市オリエント美術館のホームページの所蔵品検索
※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)
「岡山市オリエント美術館館蔵品図録」(1991年 岡山市オリエント美術館)
「四大文明 メソポタミア文明展図録」(2000年 NHK)