シェフザーデジャーミィ(1548)
若くして病死した皇子メフメトのためにスレイマン大帝が建設したモスク。
窓はたくさん開かれて明るいが、父スレイマン大帝のステンドグラスと比べると簡素。
ミフラーブ上部の三つの窓
蔓草は石膏の枠に小さな色ガラスがある程度。しかし、中央の黄色いカリグラフィーの背景には粒のように小さなガラスになっている点はスレイマニエモスクのステンドグラスの先駆けのよう。
その墓廟
植物文様らしきもの以外には、白い六角形のガラスと六点星を中央に縦に並べたものがある。
ヒュッレム(1558年没)の墓廟は外は六角形、内部は十二角形で6面にステンドグラスがある。
スレイマニエジャーミイ(1550-1557)
『望遠郷』は、東側のミフラーブの周りの壁にある素晴らしいステンドグラスはサルホシュ・イブラヒム(飲んだくれイブラヒム)の名前で知られているステンドグラス作家の作品である。カリグラフィーは有名な書家アフメット・カラヒサールによって書かれているという。
ミフラーブ壁には三段のステンドグラス。上段はシェフザーデジャーミィのステンドグラス風。
中段はとても華やか。
スレイマン大帝がトプカプ宮殿に造った建物を飾るタイルにも使われた六弁花と細い枝というモティーフが、ここでも4面に展開している。
外周の赤地には白いカリグラフィー、内部の青地には黄色いカリグラフィー。これもアフメット・カラヒサールの文字だろうか。
上部
左の花枝の一部は色ガラスはなくなっているが、枠は残っている。この枠も石膏?
樹木も草も根元は一つ。
右側のステンドグラス
スレイマン大帝は花が好きだったという。
中央パネルは右側が青地で左側は空色。それを取り巻く文様帯は全く違ったものだが、この植物のモティーフは、すでに皇子メフメト廟で使われている。
カリグラフィーは何体か不勉強で不明。その地文となっている泡のように細かいガラス。イスファハーンのチェヘル・ソトゥーン Chehel Sotun宮殿で見たイマームの扉 Imanzadegane-Darbe-Emam の説明パネルは、最も大きなガラス片で径3㎝。ガラス片の色はストゥッコの形になっているという。
ある程度の面積のある石膏ボードに細かい円形の穴を穿ち、背後に緑色の板ガラスを貼り付けているのかと思っていた。
下段右
主パネルの植物は下の水色のカップから出ている。
右側のステンドグラスとほぼ同じ
円頂部の植物文様
中心の白い十六弁花の中は青地に黄色いカリグラフィー赤い四弁花と花びら
下片には四弁花の枠に緑地の中にも植物文様
左側下段尖頭アーチ形のステンドグラス
頂部
中央パネルは小さなガラス片一つ一つの形が違う。
下部
黄色のカリグラフィーと地の緑色
泡を充填したかのようなものは、石膏の枠に細かな丸い穴を開けることでできるが、一つ一つ異なる大きさのガラス片をつくる方が手間がかかりそう。
右脇の丸窓
中央の碑文の背景が緑
スレイマン大帝の墓廟は八角形。スレイマンが1566年に亡くなった後、セリム二世が建てた(1568)。
『望遠郷』は、ステンドグラスはサルホシュ・イブラヒム(飲んだくれイブラヒム)の名前で知られているステンドグラス作家の作品であるという。
シェフザーデ廟にも丸や六角形の白いガラスとステンドグラスとの組み合わせはあった。
関連記事
参考文献