ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2012/07/31
四神8 東晋時代、江南の画像磚
東晋、太和年間後半(386-394年)に、雲南省の霍承嗣墓に四神図があったが、どちらかといえば稚拙な図だった。
ところが、江蘇省の墓出土の画像磚の四神図は、とても同じ時代のものとは思えない、完成度の高いものだった。
『図説中国文明史5』は、呉および西晋による江南の開発を経て、北方の貴族の多くが、こぞって南に移住した。江南に移住した名門貴族は、北方にいたときの生活習俗をそのまま踏襲した。東晋の時代、江南の墓によく見られる四神の画像磚は、漢王朝の時代から流行していたのである。四神の画像磚は、東西南北の守護神の象徴であるという。
四神画像磚はすべて、
東晋時代(317-420年) 江蘇鎮江隆安二年墓出土 高18幅31.5厚4.5鎮江市博物館蔵
青龍
朱雀や玄武と同じ区画のため、長い身体を無理なく丸め、4本の脚を四隅に広げて画面いっぱいに表されている。前足の片方は、高く上げるのは、霍承嗣墓の青龍と共通する特徴である。
翼はない。
両端の文様帯は不明。
白虎
青龍とは反対向きという程度で、身体の表現はほぼ同じ。虎の縞もない。
異なっている点は、首を伸ばして頭を後足近くまで上げていること、その頭の形くらいだ。
朱雀
頭の上に何かをのせている。片足を一歩踏みだし、飾り羽根が3本細いながら曲線を描いて表される。その割に羽根が小さくて、飛べそうにない。
両端の文様帯は渦巻いた曲線文。
玄武
頭の極端に小さな亀に、同じく極端に小さな頭の蛇が巻きついて、甲羅の上でにらみ合っている。その巻きついた胴だけが異様に太い。
両側の文字は読めそうで読めない。
画像磚は規格化された大きさで、幅31.5㎝というのは大きなものではない。高句麗の古墳四壁に描かれた四神からみると、かなり小さなものだ。
四神の画像磚は江南の墓にはよく見られるものということなので、型作りの規格品だったかも。
つづく
※参考文献
「図説中国文明史5 魏晋南北朝 融合する文明」 劉煒編 2005年 創元社