ではインドやガンダーラには誕生仏があるのだろうか。単独像や丸彫の像は見たことはないが、浮彫仏伝図には釈迦の誕生にまつわる場面があったはず。
灌水 ガンダーラ出土 2~3世紀 東京・金剛院蔵
『シルクロードの仏たち』は、生まれて間もないシッダルタも温冷2種の水で浄められた。これを「灌水」と言い、日本の「産湯」にあたる。ガンダーラの作品ではインドラ神(帝釈天)とブラフマン神(梵天)が水をそそぐ。
宝冠のようなターバンをかぶっているのがインドラ神、髪をのばしているのがブラフマン神、中腰で太子を介添しているのはマヤ夫人とマハプラジャパーティという。この図では誕生仏が両手をおろしているというよりは、両側の人たちが太子の手を持って支えている。
七歩行 ナガールジュナコンダ出土 3~4世紀 石灰岩 ニューデリー博物館蔵
同書は、太子は生まれてまもなく七歩歩んだとされている。そして右手で天を、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」と言った。
ガンダーラ美術では、マヤ夫人から生まれた太子がすぐ下で歩いている作品がある。しかし、右手で天上を指しておらず、「天上天下・・・」の様式になっていない。生まれたばかりの太子が胸のあたりまで手をあげている作品は稀にはある。
5世紀頃、中国で右手で天を指す誕生仏がつくられたものと思われ、日本では6世紀の飛鳥時代から数多くつくられている。
ナガールジュナコンダ(竜樹の丘)は竜樹の亡くなった故地である。南インド東岸のクリシュナ河の中流にあるこの地から出土した作品は、同じ南インドのアマラバティの作風の流れを汲んでいる。釈尊の姿は刻まれず、初期仏教美術の伝統が守られている「無仏」の浮彫である。中央の樹木と傘と払子は太子の存在を示している。右側に並ぶ4人は四天王で、持っている長い布に太子の七歩の足跡が描かれているという。 ということで、右手をあげた誕生仏はどうやら中国で創られたものらしく、施無畏印のような右手を胸まであげた像はインドあるいはガンダーラにまれにあるらしい。そして両手を下げたものの起源は両手を支えられた像かも知れない。
また、『日本の美術159誕生仏』は、この師子吼する場面はキジール、敦煌の仏伝図(6~7世紀)や幡(8~9世紀)に描かれたものなどが伝えられており、インドでは見られなかった師子吼する像が出胎や灌水の場面と同等にあらわされていることが注目されるという。しかし、『シルクロードの仏たち』は、右手をあげた誕生仏は5世紀に中国でつくられているとしているので、西域には中国から伝わった可能性もあるなあ。
※参考文献
「図説釈尊伝 シルクロードの仏たち」(久野健監修 山田樹人著 1990年 里文出版)
「日本の美術159 誕生仏」(田中義恭編 至文堂)