両手を下げた誕生仏があるのなら、施無畏印の誕生仏も中国にあったかも知れない。
石造如来坐像光背裏面浮彫 北魏大安3年(472)銘 東京・個人蔵
『日本の美術』は、右肘を曲げて手を肩の辺りまで挙げて立つ師子吼する像を左にあらわし、中央から右にかけて両手を下げて台座上に直立する釈迦牟尼に左右から九龍が浄水をそそぐ図様が浮彫されているという。
師子吼するというのが「天上天下唯我独尊」と叫んでいる場面をさすのだろう。両手を下げた姿は東京・個人蔵の北魏誕生仏と同じで、上から水をかけられる像の、中国での基本形と言えるかも知れない。そして、右肘を曲げているのは施無畏印に似ている。造像碑背面線刻画中の誕生の場面 阿南省泌陽県 武定元年(543)銘
同書は、左側には右手を挙げてあゆむ姿があり、これに上方から九龍が頭を並べて清浄水をそそいでいる。ここで初めて師子吼の像と灌水とが同一場面としてあらわされているのを見るが、これは例外であって、やはり2つの場面に分けてあらわすものが圧倒的に多いという。この図像以降右手をあげた誕生仏に水をかけるようになっていたら問題はなかった。
石造如来立像光背裏面線刻誕生図 東魏武定4年(547)銘 米・フィラデルフィア大学蔵
同書は、上方に多くの侍女にかしずかれた摩耶夫人の右袖口から誕生する釈迦牟尼をあらわし、さらにそれに引き続いて中央下方へ7歩のあゆみを示す7個の蓮花を刻んで、右手を挙げて蓮花上に立つ師子吼する姿を表している。その右側には両手を下げて台座上に立つ姿に、上方から九龍が灌水する場面が刻まれている。という。
このように直後に線刻されたものも、右手をあげて師子吼する場面と、両手を下げて水をかけられる場面に分けられている。 以上中国の浮彫3点には私が韓国旅行で見てきた施無畏印風の誕生仏に水をかける場面はなかっが、両手をさげた誕生仏・右手をあげた誕生仏・施無畏印風の誕生仏と3種類が画像にあるので、中国で仏教が盛んに信仰され、個人的に小さな像を造って拝んだり、釈迦の誕生日に水をかけたりするのが流行した頃に、3種類とも誕生仏として水をかける対象とされたのかも知れない。そして、それが朝鮮半島や日本にも伝播し、やがて最も一般的な誕生仏は右手をあげたものとなっていったのだろう。
※参考文献
「日本の美術159 誕生仏」(田中義恭編 至文堂)
「古代の誕生仏」(1978年 飛鳥資料館)