1509年以降(年代からベヤジット二世期)に建てられたレンガ造りのミナレットは現在も立ってる。
そしてその基部にトルコ襞というオスマン朝初期にドームを架構する、トルコ独特の技法が用いられていることを知った。
そこで、その後イスタンブールに建ったモスクのミナレットの基部がどんなだったかを、自分が撮影したもので年代順にまとめてみた。
ベヤジットジャーミイ Beyazit Camii 在位1501-12
スレイマン大帝の祖父にあたるバヤズィト二世(昔はバヤズィトと発音されていたが、今ではベヤジットになっている)が奉献した。
頂部には赤いタイルではなく、赤レンガの窓のような形が並んでいる。
ヤウズスルタンセリムジャーミイ 1522年
スレイマン大帝の父の名を冠したモスクだが、セリム一世が亡くなった後にスレイマン大帝が献納した。
ミナレット頂部には何かが嵌め込まれていた痕跡はあるが、トルコブルーのタイルではなく、ムカルナス下の装飾のように、赤レンガだろう。
ヒュレムスルタンジャーミイ 1539年
スレイマニエジャーミイよりも先に建てられた。左側のドームは後の時代のもの。
ミナレットは頂部にはタイルもないし、何か嵌め込まれていた痕跡もない。
建物の一部からミナレットの基部ができている。シャープな凹凸は見えない。
ユシキュダル ミフリマースルタンジャーミイ 1540-48年
シェフザーデジャーミイ 1543-48年
将来は自分の世継ぎにと考えていたが、若くして亡くなったメフメト皇子(シェフザーデ)のためにスレイマン大帝が建てた。元々スレイマン大帝が自分の名のモスクを建てるつもりの好立地に立っているとも言われている。
ミナレット頂部にはタイルが貼られていた痕跡。アザーンのバルコニーの下側と同じく、レンガの板が張られていたのだろう。
基部の写真なし
ハドゥムイブラヒムパシャジャーミイ 1551年
ピンボケだが、ミナレット頂部にはタイル状のものが貼られていた痕跡がある。アザーンのバルコニー下がムカルナスではない。
4本のミナレットのうち礼拝室側の一対はアザーンのバルコニーが三つ。中庭の隅のミナレットにはバルコニーが二つある。
本来のミナレットは、一日5回祈りの時間を知らせるためのアザーンを、ムアッズィンが高いところから大声で朗唱するところなので、1本あれば良いもの。
ミナレット頂部にはタイルもその痕跡もない。
ソコルルメフメトパシャジャーミイ カドゥルガ 1571年
ミナレット頂部にはタイルはなかったようだ。
ミナレットの基部が見える場所がなかった。
アヤソフィアのセリム二世(1566-74)のミナレット
修復中なので『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』の図版
頂部にタイルパネルはないが、何かが嵌め込まれていた痕跡がある。
アヤソフィアジャーミイ セリム二世のミナレット Architect Sinan His Life, Works and Patrons より |
その基部には鋭角の三角形を用いて円筒形へと収縮させている。これもトルコ三角形と言えるのかな。ミマールスィナンがこういうものを用いていたとは。
アヤソフィアのムラト三世(1574-95)の2本のミナレット 『Architect Sinan His Life, Works and Patrons』より。
基壇にはセリム二世のミナレットと同様に細長いトルコ三角形を用いている。
アヤソフィアジャーミイ ムラト三世の2本のミナレット Architect Sinan His Life, Works and Patrons より |
頂部にはトルコブルーのタイルが嵌め込まれている。アザーンのバルコニーの下はムカルナスではなない。ハディムイブラヒムパシャジャーミイのミナレットに似た形。
というのが、これまでに訪れたモスクのミナレットのまとめです。他にもあれば後日まとめます。