ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2015/01/13
十輪院3 十三重塔は鎌倉時代
数年ぶりに十輪院に行った。前回と異なり快晴で、日を浴びた本堂の柱は、朱を塗ったように赤く写っている。南門の影もくっきり。
南都十輪院』は、真言宗醍醐派・十輪院は元興寺を中心とする旧奈良町の一劃にあり奈良~平安の人朝野魚養、また空海や聖宝の開基と伝えるが、実際は鎌倉時代のはじめ、石造地蔵菩薩像を本尊として、地獄抜苦と浄土願生なる中世庶民信仰の期待を担って寺観を整えたものとみてよく、寺名もまた地蔵経典である「地蔵十輪経」に因むことはいうまでもない。しかし室町時代の戦乱で多くの寺宝を失い、十輪院の初期を伝えるものは、地蔵石龕をはじめ、礼堂である本堂、南門などが主たるものという。
東側の庭は紅葉が美しかった。様々な種類の木が植えてあるので、小さいながらそれぞれの色に染まっている。その一本一本を見ていると、水の音しか聞こえない静かな境内で、時を忘れて、ゆったりとした時を過ごすことができた。
黄葉が始まった木の隣にはツワブキが黄色い花を咲かせていて、奥には柿色や赤い色づきが見える。
記憶から消えていたが、この庭には池があり、その中に大きな島がある。
手前には光を浴びて紅葉真っ盛りのモミジ。奥のほとんど葉を落とした木は、ぐにゃぐにゃした枝に小さな赤い葉が少しだけ残っている。。その幹に絡みついた小さな蔦は、逆光で赤い光を発するかのよう。
不動明王
同書は、高157㎝。怒りを押さえた表情、丸々した姿態などに平安風の雅趣が看取され、地蔵石龕の浮彫像と彫技・彩色が相叶うという。
あまりにも天気が良すぎて日向と日陰の差がきつすぎる。
菩薩立像
同書は、高200㎝。合掌形、目鼻立ちの明快な菩薩像。下半身は多く破壊されているが、もと魚養塚外槨にあったという。
魚養塚については次回
石仏や五輪塔なども多い。
庭の南東の隅には十三重石塔というよりは、かつて十三重石塔だったものがある。
同書は、復元高359m。三層をなくしているが、建長3年(1253)の般若寺石塔と類似し、初層に四方四仏を刻み、内部に舎利や納入品のための穴をうがつという。
般若寺ま四方仏と異なるのは、般若寺の十三重塔は線刻、こちらは浮彫されている。
しかも、頭部から上半身にかけては高浮彫で、蓮台は線刻となっている。仏を肉厚に表す分幅広く周囲を陰刻して頭光と身光にしている。全体を線刻の円で囲む。
東 薬師如来
南 釈迦如来
西 阿弥陀如来
北 弥勒如来
島には石橋が架かるが、立入禁止。
この池には蓮華が咲くらしい。
次にこの寺を訪れるのは蓮の咲く頃にしよう。
→十輪院4 魚養塚
関連項目
十輪院の庭にあるのは石仏
十輪院の石仏龕は本堂の奧
※参考文献
「南都 十輪院」 飛鳥園制作 十輪院発行
十輪院のリーフレット