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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/03/17

フン族に特徴的なものは鍑(ふく)らしい

 
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、フン族以外には用のない儀礼的性格の強いもの、すなわち交易品として他国に流出することなく、フンの領域でしか発見されないはずのものに、青銅製の鍑がある。青銅製の台付きあるいは脚付きの鍑は、草原地帯ではスキタイ時代から祭儀用に使われているが、フン時代には器形、装飾ともにきわめて特徴的な鍑が出現する。まず器形は胴部に膨らみがない寸胴型で縦長であり、把手は方形であるという。
鍑(ふく)はフン族のものだったのか、ふ~ん。

『シルクロード絹と黄金の道展』で新疆ウイグル自治区出土の鼎を見た。前5~3世紀と言えばシルクロードが開通する前である。よく見ると、「鼎」ではなく「三足鍑」となっていた。

三足鍑 青銅 ニルカ県出土 前5~3世紀
同展図録は、草原地帯の初期騎馬遊牧民によって用いられた青銅器のうち、容器類はこの鍑と呼ばれる種類だけである。鍑は紀元前9世紀から8世紀頃に作られ初め、初期騎馬遊牧民の時代にはユーラシア草原地帯のあらゆる場所で使われるようになった。鍑の標準形は深鉢形の器体にふたつの把手が立ち、圏足が付くものであるが、それぞれの地域によって特色があり、また時期によっても異なった特徴を持っている。この鍑は圏足の代わりに3本の曲がった足を持ち、ふたつの把手は口縁の上ではなく、肩のあたりに水平に付けられ、小さな耳が把手の間に垂直方向に付けられる。これらの特色は、新疆ウイグル自治区とその西のカザフスタンに分布する鍑に特有のものという。
足は獣足を象った物に見える。この3本の足は、中国となんらかの交流があって、「鼎」に影響を受けたものだろうか。
同展で、もう1つ鍑を見つけた。3本の足のない、こちらの「鍑」の形が非常に印象に残った。

鍑 青銅 復元高71㎝口径39㎝ 新疆ウイグル自治区ウルムチ市南山出土 4~5世紀
口縁の上に立ったふたつの把手は方形で、その上に3つのキノコ形の装飾が立っている。把手の両脇にもキノコ形の装飾がある。これは遊牧民によって広く用いられた鍑の一種で、その中では、かなり後出の型式である。東ヨーロッパのドナウ川流域などにおいて、これとほぼ同様の鍑が10点以上知られており、フン族の使用した鍑と考えられている。またこの型式の鍑には、中国の北辺やモンゴルで見出される紀元前後頃の鍑と型式的に相通ずる所がある。このウルムチ出土の鍑は、この型式では飛び離れて東方で発見された例であり、それをどう解釈するかについて議論が分かれているという。
「キノコ形の装飾」は象嵌・粒金細工の装飾品にもあったなあ。キノコに見えても樹木をデザインしたものではなかったのだろうか。 よく似た鍑があった。

鍑 青銅 (描き起こし図)高34.5㎝ ロシア、オレンブルグ、クィズィル・アディル出土
『世界美術大全集東洋編15』は、この把手の上に三つないし四つのキノコ形突起がつき、把手の左右にも同じ突起がつく。胴部は隆起線で4分割され、上の水平の隆起線から玉飾り状の装飾が並んでいることもある。キノコ形突起はフンの王族の頭を飾っていたと思われる王冠の装飾にも見られるため、王権を象徴化したものとする説もある。この説に立てば、キノコ形突起のついた鍑は王族の所有物で、ついていない鍑はそれ以下の階層のものということになるという。
キノコ形突起は王族の所有を表すものだったのか。 鍑 青銅 高88~89㎝径46~48㎝ ハンガリー、ペシュト、テルエル出土 ブダペスト、ハンガリー国立博物館蔵
現在確認されているフン型鍑のなかでもっとも大きく、重量は41㎏にも達する。火を受けた跡があることから、肉入りスープなどを煮るための容器であることは明らかである。しかし寸胴型で底に火の当たる面積が少なく、しかも支えるものが脚ではなく孔の開いていない台であるため、底の中心には火は当たらない。このような非効率的な道具は実用的とは思われず、儀礼の際にのみ使われる道具ではないかと推測されるという。
やっぱり鍑は祭器だったのか。  フン族の鍑の点数はそれほど多くはない。ほぼ完全な形に近いものが10点あまり、それに破片だけのものを含めても20点ほどしかない。その出土地はドナウ川中下流域など東ヨーロッパに多いが、東のほうでは黒海北岸、北カフカス、ヴォルガ川(当品)、カマ川流域に散見される。従来は、ヴォルガ川より東方ではもはやフン型鍑は発見されないと思われていたが、その常識が近年打ち破られつつある。まず一つはウラル川中流のクィズィル・アディル出土の鍑、つぎに銅鍑を模して作られた土製の鍑がシル川下流のアルティン・アサルから出土したという。
キノコ形突起がないので、王族のものではなかったらしいが、上のハンガリー出土の胴部とよく似ている。
そしてこれらよりはるかに東方、中国新疆ウイグル自治区の主都ウルムチ南方の南山地区で、キノコ形突起のついた鍑が発見されたのである。ウルムチ鍑のほうがオリジナルで、さまざまな要素が個々にウラル川・ヴォルガ川・ドナウ川の流域に広まったと解釈するほうが自然であろう。ただし、それらの要素に東と西の差がほとんど見られないことから、その広がり方はかなり急速だったのであろう。とすれば、フンの直接的起源は中央アジア北部にあり、その勢力はそこから急速に拡大したと考えることができるという。匈奴はもっと東の方から出た部族だったような・・・

キノコ形装飾のついた帽子垂飾は、キノコ形の装飾がついた鍑と同様に、フンの王族のものだったといってよいのだろうか。
 
※参考文献
「シルクロード 絹と黄金の道展図録」(2002年 NHK)
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」(1999年 小学館)
「季刊文化遺産12 騎馬遊牧民の黄金文化」(2001年 (財)島根県並河万里写真財団)