無理だと思っていたが、自由時間にボートをチャーターしてもらいクヌム神殿を見学することができた。
エレファンティネ島の南の船着き場から上陸、階段を登る途中にチケット売り場とセキュリティ・チェックがあった。登りつめたら以前別荘だった建物がアスワン博物館になっていた。
その前を左に折れて庭のようなところを巡っていくとクヌム神殿の遺跡群が広がっていた。一体どこから見学すれば良いのかわからない。レストランの島から見えた展望台が遠くにあるのはわかったが、どこをどう通って行けばよいのだろう。
目の前の小さな石に名称が記されている。右の角柱の並ぶ新しそうな建物はサテト神殿で、プトレマイオス朝-ローマ時代(前306年~)のもの。クヌム神殿に何故別の名前の神殿があるのだろうと不思議だったが、サテト女神はクヌム神の妻らしい。クヌム神殿の神域に他の神の神殿もあるということだろう。
説明板があったが文字が小さくてわかりにくかった。左の高くなっているところに見える2本の角柱らしきものがクヌム神殿の柱廊玄関でプトレマイオスⅧ期(前2世紀)。どちらもジェゼル王の時代から2000年以上時代の下がった建造物だ。
『吉村作治の古代エジプト講義録上』は、クヌム神は牡羊の頭をした人物として表される。アスワンのエレファンティネ島の神で、第1キャタラクトの神。ろくろ台の上で人間をつくりだしたと考えられ、土器づくりの神としても崇められたという。
アスワンダムの上流にあるフィラエ島のイシス神殿(末期王朝~ローマ時代)壁面に、クヌム神がろくろ台の上で人間を創る場面があった。跪いてアンクを差し出しているのはヘケト女神。
赤で示した辺りがレストランから見た展望台や日干レンガの遺構のあるところのようだ。赤い点線が順路らしいので、クヌム神殿址を通って行ってみよう。
クヌム神殿はサテト神殿よりも高いところにある。石段までの所にもたくさんの遺物が並んでいる。
クヌム神殿址らしい広い空間に出た。右手には修復された壁があり、ところどころに浮彫が残っている。これがプトレマイオスⅧ期のクヌム神殿だとすると床の部材の下に見えている刳りのある円柱のドラムは、プトレマイオスⅧよりも前の時代の遺構ということになる。
クヌム神殿は古くからあったために、神殿がいたむと後世の王が改築したり、取り壊してならし、その上に再建したりということが繰り返されたのだろう。ジェゼル王が神官イムヘテプに出会い、建て直した神殿もこの位置のずっと下の方にあったのだろうか。
『吉村作治の古代エジプト講義録上』は、貴重な手がかりとなる碑文がアスワンの第1キャタラクトにあるサーヒル島で発見されている。
「ジェゼル王の治世のとき、7年間にわたってナイル川が氾濫しなかったため、耕地に水がいきわたらず、大飢饉となった。そこで、ジェゼル王は、アスワンに赴き、エレファンティネ島にあるクヌム神の祭壇で、クヌム神官であったイムヘテプの仲介により、多くのいけ贄を供物を捧げ、祈禱を行った。するとクヌム神のお告げがあり、荒廃した神殿を立て直せとのことであった。神の命にしたがってジェゼル王は、クヌム神殿を修復したところ、そのおかげで翌年からはナイル川に氾濫がよみがえり、エジプトの大地は豊かな実りをとりもどした」という。
紀元前27世紀にあったクヌム神殿は、すでに荒廃するほどの歳月を経ていたらしい。
このイムヘテプこそが、のちにジェゼル王の宰相として、階段ピラミッドの設計・施工をした人物だからである。イムヘテプはこの業績をきっかけに、ジェゼル王によって都メンフィスに迎えられたものと思われるという。
そして、イムヘテプは階段ピラミッド、いやピラミッド複合体を、エジプトの従来の日干レンガではなく石材で造ったのだった。エレファンティネ島のクヌム神殿は日干レンガで建て直されたのか、それともここでも石材を使ったのだろうか。テラスからクヌム神殿の南側を眺める。急に落ち込んでいて、下側にもたくさんの遺物が並べられている。レストランの島が正面に見える。その向こうがイシスアイランドホテルで、ずっと向こうの小高いところが西岸。
プトレマイオスⅧの柱廊玄関へ。クヌム神殿址はは膝くらいの高さの柱頭の残骸がところどころに残っていた。日を避けるものがないので暑い。
柱廊玄関を過ぎて振り返る。ルクソールの神殿のように見上げながら歩いて回る、あるいは、屋根の残るアビドスのセティⅠ葬祭殿や、地下にある王墓・王妃墓のように暗い空間を見学するといった場合が多いので、このように遮るものがなく遠くまで見渡せる遺跡というのはエジプトでは珍しい。
この柱廊の南側に、レストランの島からも見えた門があった。アメンホテプⅡ(前15世紀)の門で、浮彫も部分的に残っている。
続いてネクタネボ(末期王朝時代、第30王朝、前4世紀、Ⅰ・Ⅱは不明)が造った神殿址。地震で倒壊したのだろうか、右向こうの小祠堂のようなものが倒れているのに目を奪われる。倒れても崩れていないのは大きな石を丸彫りにしているから。
展望台まであと少し。
※参考文献
「吉村作治の古代エジプト講義録上」(1996年 講談社+α文庫)