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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/06/11

X字状の天衣と瓔珞7 南朝



X字状の天衣や瓔珞が出現する北魏後期には、それまでの偏袒右肩や通肩で表された仏像の着衣が、褒衣博帯という中国式のものへと変わる。それは太和17年(493)平城(現大同)から洛陽へ遷都した孝文帝が太和19年に胡服禁止令を出したことと関係している。
『図説中国文明5魏晋南北朝』は、後期窟の仏像について、着ているものは明らかに南朝の流行に習い、どれも褒衣博帯(すその大きな衣と幅の広い帯)で、瀟洒で超然とした様子をしているという。
では、X字状の天衣というものも、南朝で流行していた服装なのだろうか。


観音菩薩諸尊立像 砂岩、彩色 高43.6幅39.5奥行16.5 四川省成都市万仏寺址出土 梁時代・中大同3年(太清2年、548) 四川省博物館蔵
『中国国宝展図録』は、万仏寺は成都市の西北にあった寺で、19世紀末から20世紀半ばにかけての数度にわたる調査で200余点の仏像が発見された。
銘に観音と記される中尊は、菩薩形ながら右手施無畏印、左手は瓔珞をつかみ、宝冠はターバン飾りとして、尊名を特定する標幟をとくに備えないという。

観音菩薩の二の腕を覆う幅広の天衣は、交差後は紐状となり、瓔珞より高い位置で両側面へと上がっている。
瓔珞は丸い珠2つと長い珠1つが等間隔で数珠状に並んでいる。それが腹前の飾りで交差して、天衣よりも低いが膝よりも高い位置で両側面へ上がっていくが、左側のものは、菩薩の左手で掴まれている。このような表現は珍しい。
どちらかというと、天衣も瓔珞も丸い飾りの箇所で一緒に交差しているような印象を受ける。
宝珠を両手で持つ両脇侍菩薩は、幅広の天衣と数珠状瓔珞をX字状に交差しているし、象に乗る二天も天衣が腹前で結ばれて、X字状に交差している。
釈迦如来諸尊立像 砂岩、金、彩色 高39.5幅27.3奥行10.5 成都市西安路出土 梁時代・中大通2年(530) 成都博物館蔵
同書は、中国式に衣をまとった釈迦像を中心に、菩薩像と浅浮彫の比丘像を4体ずつ、天王像と獅子をそれぞれ1対で表すという。
両脇侍菩薩の天衣も、二天の天衣も、万仏寺址出土の諸尊立像の二天と同じように、輪っか(環)を通らずに腹前に結び目が見える。
南朝では長い紐状のものを結ぶという習慣があったのだろうか。 
二菩薩立像(部分) 砂岩 梁(6世紀前半) 高121㎝ 成都市万仏寺遺址出土 四川省博物館蔵
『中国★文明の十字路展図録』は、正面には上段に壺から伸びる蓮華上に立つ2人の菩薩と4人の供養菩薩が表され、下段には壺を守るように獅子と力士が配されている。正面中央の右手に楊柳を持つ菩薩に見られる瓔珞や脚を膝まであらわにする裳の付け方などにはインドのグプタ朝や東南アジア美術との関係が指摘されている。また4人の供養菩薩のうち↓の菩薩が着けている三日月と太陽の標章と翼を伴う宝冠はササン朝ペルシアに由来するものである。一方同じ供養菩薩や力士の服制には腹前でX字に交わる天衣の形式などに中国の伝統様式が混在しているという。
中央の菩薩は上方を切ってしまったが、天衣も瓔珞も左肩から斜めに懸かっていて、交差しない。 
下段右供養菩薩は瓔珞を着けず、天衣はX字状に交差させているだけだ。
左供養菩薩と両力士は、丸い飾りで天衣も瓔珞も交差しているように見受けられる。
これについては中国の伝統様式とされているが、それは漢族の多く住んできた南朝風ということなのだろうか。

しかしながら、これら3点は、龍門石窟古陽洞に出現した、X字状の天衣を着ける交脚弥勒像が太和22年(498)年と5世紀末であるのに対して、どれも6世紀前半のものだった。従って、南朝の漢族の服装が仏像の衣装風となり、北朝に伝播したとは言えない。

ところで、仏像ではないものに、腹部で交差する衣装をつけた人物像があった。

貴婦人の外出を描いた画像磚 高19㎝幅38㎝厚6㎝ 南朝(537埋葬) 河北省景県高雅墓出土 河南博物院蔵
『図説中国文明5魏晋南北朝』は、魏晋南北朝時代には、外出の図が少なからず描かれ、貴族の生活を生き生きと描いている。先頭の2人は貴族の衣装を身に着け、1人はうちわを手にしているという。
X字状の天衣というのは、実際にはこのように長い肩掛けを胸前で紐状のもので留めていたのではないだろうか。
このようにX字状に交差する天衣に近い服装が南朝にあったことがわかった。しかし、高雅は537年に埋葬されたので、この磚も龍門石窟でX字状の天衣を着けた弥勒像よりも後に作られたことになる。
ただし、このような貴婦人の服装は長期なに渡って続いていて、それが菩薩のX字状に交差する天衣に採用された可能性は残っている。

つづく

関連項目

X字状の天衣と瓔珞8  X字状の瓔珞は西方系、X字状の天衣は中国系
X字状の天衣と瓔珞6 雲崗曇曜窟飛天にX字状のもの
X字状の天衣と瓔珞5 龍門石窟
X字状の天衣と瓔珞4 麦積山石窟
X字状の天衣と瓔珞3 炳霊寺石窟
X字状の天衣と瓔珞2 敦煌莫高窟18
X字状の天衣と瓔珞1 中国仏像篇
ボストン美術館展6 法華堂根本曼荼羅図2菩薩のX状瓔珞


※参考文献
「図説中国文明史5 魏晋南北朝 融合する文明」 稲畑耕一郎監修 劉煒編集 2005年 創元社 
「中国国宝展図録」 東京国立博物館・朝日新聞社編集 2004年 朝日新聞社
「中国★文明の十字路展図録」 2005年 大広