ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2010/11/19
奈良時代の匠たち展5 磚と塼、そして日干レンガ
奈良三彩は垂木先瓦だけでなく、塼にも使われていた。
緑釉塼 薬師寺西僧坊出土 長12.2㎝幅9.8㎝高5.2㎝
同展図録は、塼の中では小型の部類である。全面に緑釉が施されているが僧坊が天禄4年(973)に火災で焼失した際に被熱したため、一部を除いて変色してしまっている。僧坊の房内の仏壇などの基壇上面を飾ったのであろうという。
仏壇を荘厳するためにも緑釉の塼が使われたようだ。当時のお寺は垂木先瓦といい、堂内の塼といい、三彩釉で飾り立て、「荘厳」や「青丹よし」という言葉で思い浮かべるよりもずっと華やかだったのだろうなあ。
完成した建物基壇の上面は、土が露出したままのものもあるが、石製の磚や土製の塼を敷き詰めて基壇上面を風雨から防ぐこともあったという。
風雨にさらされる場所、つまり建物の外側に塼や磚が使われたということだろう。
塼 平城京左京五条二坊十五・十六坪出土 長30.2-30.9㎝幅16.9-18㎝厚7.6-8.6㎝
箱状の型枠に粘土を詰めて成形したようで、型枠の板の痕跡か、成形時に板状の工具でなでた痕跡と考えられる筋状の条痕が表面にみられるという。
レンガと聞けば思い浮かべる現代の赤いものよりも一回り以上大きい。
平城京左京五条二坊にはどんな建物があったのだろう。寺院跡ならばそう記されているはずなので、世俗の建物跡から出土したようだ。
磚 東大寺上院区千手堂出土 凝灰岩 29㎝の正方形、厚9㎝
断面が逆台形を呈している。建物基壇の上面もしくは建物内部の床面に敷かれていたと考えられる。側面には成形する際の鑿による加工痕が明瞭に残っているという。
凝灰岩製の磚もあった。これだけが逆台形になっている。東大寺ではこのような磚が敷き詰められていたのだろうか。
塼や塼の他、日干レンガも日本にあった。
日干レンガ(奥に積み上げられたもの)他 大安寺杉山瓦窯出土
窯体に使われた日干し煉瓦という。日干レンガも瓦を焼成中に焼けて塼のようになって残ったのだろう。
均一に成形した日干レンガを積み上げて窯を築いていたのだ。きっとこれも唐の技術だろう。
※参考文献
「奈良時代の匠たち-大寺建立の考古学-展図録」(2010年 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館)