その日は朝から雨で、やがて止んだが磐梯山は白い雲からでてこなかった。
この橋の下には、雨の後でも澄んだ水の流れがあり、
旧正宗寺三匝堂(きゅうしょうそうじ さんそうどう)
福島県教育委員会制作の説明パネルは、六稜三層形式向拝付、銅板葺き(もと木羽葺き)
「さざえ堂」の通称があり、高さ約15.5mで、初層真径約6.3mの六角形平面に回縁を付け、正面には唐破風の向拝を付しているという。
突き出た向拝と龍が異様だが、これがさざえ堂なのだ。
説明パネルは、正面から入ると右回りに螺旋状のスロープで登り、頂上の太鼓橋を越えると降りの左回りスロープとなって背面出口に通ずる。昇降を通じ建物内を三度回ることになるところから三匝堂の名がある。
スロープの内側に沿って西国札所の三十三観音像が祀られ、一度入ると巡礼を終えたことになるという、いわば江戸時代における庶民のための身近な巡礼の建物であったという。
説明パネルは、「新編会津風土記」には「円通三匝堂」と見え、寛政8年(1796)の造立と記され、また会津若松の実相寺の僧郁堂の建立とされているという。
さざえ堂を建てた僧だった。
外側は開口部が続き、斜めの床には滑り止めの桟が取り付けてある。
仏堂建築としては、他に例を見ない特異なもので、六本の心柱(円柱)と同数の隅柱(六角柱)を駆使して、二重螺施のスロープを造り上げた考案者である郁堂と棟梁の創意と技術には大きな意義があるということなので、真ん中に見えているのは心柱になるのかな。
こんな風に上っていくと、先に方向の違う板があった。
これが通路の頂上だった。
その天井は六角形の周りに折りたたみ傘のような湾曲部があって、更に垂木状のものが10本ずつくらい下がっているように見える。
外を眺める。
その天井は六角形の周りに折りたたみ傘のような湾曲部があって、更に垂木状のものが10本ずつくらい下がっているように見える。
でも、外から見ると、軒下に二重垂木が出ているで、内側のは垂木ではない。
こう見ると、六本の六角柱の外側は華奢な木鼻が上の軒を支えていて、意外と装飾的。
さて、この太鼓橋状のものを通り過ぎると、反時計回りに下っていくように造られている。
この「二重の螺旋階段」は、モスクのミナレットにも見られるものだが、観光で行くと一方が閉じられているため、上る人と下りる人が狭い空間ですれ違うことになる。あつ、また脱線。
そして出口に坐っているのは正宗寺開祖の残夢大禅師だった。
内側にいると、通路が斜面になっていることがわかるくらいだが、外から眺めると、どのラインが水平なのか探しだそうとしてしまう。
一つの壁面で、格子状の開口部(明かり取り)の右端の位置から斜め下に渡してある板が水平のような気がする。
帰りも磐梯山は姿を表さなかったが、猪苗代湖はちょっと見えた。
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参考にしたもの
福島県教育委員会制作の説明パネル