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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/07/10

四神2 8世紀、トルファンではリサイクルした紙で作られた



10世紀の契丹では木彫で四神が作られた。四神図を遡っていくと、唐時代のトルファンでは四神は紙製だったことがわかった。
『仏教の来た道展図録』は、青龍、白虎、朱雀、玄武はそれぞれ東西南北の方角をつかさどる神獣である。四神は漢代より墓室や棺などに描かれはじめ、天井部の天文図とともに宇宙観を表していた。また被葬者を守護する僻邪としての役割も担う。わが国のキトラ古墳の壁画にも見られるとおりである。
唐代のトルファンでは、被葬者のための棺や靴が、不要となった公文書をリサイクルして作られていたという。
『中国歴史地図』は、トルファン出土文書は大部分死体を包んだり、履物あるいは紙棺などを作るときに使われた廃紙の形態で残っているという。

紙棺 トルファン、おそらくアスターナ出土 時代不明
小さなオアシスの町なので、棺に使う木材が調達できなかったのだろう。
紙製の棺にも、以前調べたような傾斜がある。傾斜のある棺についてはこちら
アスターナ古墓群は、3つ程の墓室を見学した。記憶が確かではないが、奥壁には屏風のように画面を分割して、絵画が描かれていた。主室左右は一段高くつくられていて、棺床になっていた。その上には、紙製の、しかも反故紙を何枚も貼り合わせて作った棺が置かれていたとは。
『仏教の来た道展図録』は、本資料も反故となった均田制に関する文書(給田文書)を幾重にも貼り合わせて補強し、その一番外側に青龍、玄武の姿を描き、形に沿って裁断して作られたものである。これまでに青龍、玄武とも九つの層位が確認されている。一番外側の彩画紙としては旅順博物館所蔵の青龍の一部を描いたものが当時の姿を最もよくとどめている。
大谷文書には、朱雀、白虎の一部や霊芝雲も確認されており、これらは壁面に打ちつけられていたか、吊り下げられて墓室を飾っていたと考えられる。輪郭に沿って穿たれた小さな穴は、そのためのものであるという。

青龍 トルファン、アスターナ出土 8世紀半ば 給田文書 紙本墨書 最大53.0X135.0 龍谷大学蔵
青龍は頭を右側に向けた姿で描かれていたという。 
おそらく、右後足は、今はなくなっているが、胴と左後足の付け根の間から、前へ踏み出していたのだろう。
玄武 アスターナ出土 8世紀半ば 給田文書 紙本墨書 最大87.5X52.5 龍谷大学蔵
玄武は正面を向いた姿で描かれていたという。
赤峰市出土の木製契丹の玄武は正面向きだったが、正面向きの玄武は8世紀半ばの唐にすでに登場している。
亀の4本の足が左右に出て、頭部の出っ張りがないので、一番上の紙に、おそらく正面向きに描かれていたのだろう。
その亀の胴体に巻きついていたと思われる蛇は、亀の上方で首と尾を交差させている。
このように欠けた箇所のある唐の玄武でも、契丹の玄武がどのようなものだったのかを、ある程度推し測る材料ともなり、貴重だ。
唐時代の四神は、銅鏡には見られるものの、墓室に飾られたのはこの紙製のものが唯一だった。
つづく

※参考文献
「仏教の来た道 シルクロード探検の旅展図録」 2012年 龍谷大学龍谷ミュージアム、読売新聞社
「中国歴史地図」 朴漢済編著 吉田光男訳 2009年 平凡社