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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/05/29

メソポタミアの粒金細工はアケメネス朝へ

 
粒金細工は、現存する作品としては今のところメソポタミアが最も古い。だからといって決して遺品は時代による変遷を知るほどには多くない。少ない中からメソポタミアの粒金細工がメソポタミア及び周辺地域で、どのように受け継がれていったかみてみよう。

ブレスレット 金・ガラス カッシート時代(前13世紀) バグダード、イラク国立博物館蔵
カッシートとはどのような人たちだったのだろう。『ビジュアル考古学4メソポタミア』は、カッシート人の祖国は、現代のイランのルリスタン渓谷にあったと考えられている。
ヒッタイトの撤退後、カッシート人が権力をにぎることになった。カッシート人は、おおかた平和裡に4世紀にわたって権力を保持した。歴史ではよくみられることだが、外国の王たちはみずからが征服した国の文化に吸収され、古代メソポタミアの伝統を永らえさせつづけた
という。カッシート時代は前16-12世紀とされている。
ブレスレットは数も大きさも不揃いな金の粒で菱形を形成している。中には整然と並んだものもあるが、金の粒が飛び出してきそうなものもある。
その上下には二重の組紐文があり、どうも地金から浮いているように見えるが、ウル王墓出土黄金の短刀の鞘(ウル第1王朝、前2600-2500年頃)には一重の組紐文がすでにあるので、これもその流れをくんでいることになる。また、文様あるいは文様帯の両端に粒金細工を並べるというのも鞘にすでに見られる。
この浮いているあたりをじっくり見ると、当時どのように金の粒を鑞付けしていたのか、少しはわかりそうな気がする。 金帯 長51.2㎝ メソポタミアまたはイラン西部出土 前8-6世紀 MIHO MUSEUM蔵
『MIHO MUSEUM南館図録』(以下『南館図録』)は、外向きに粒金細工の三角形を2列並べる端飾の金板を有する。この三角形の列は、おのおの3本の金線を巻いた3条の組紐文で縁取りされており、その外側には各1条のまっすぐな金線がある。金板の縁には、現状では断片になっているが、一筋の見事な粒金細工がある。粒金細工を区切るために二重の組紐文を使用することは、紀元前2千年紀半ばのメソポタミアおよび紀元前12世紀のイランに作例があるという。
カッシート時代のものよりも地金によく貼り付いていて、金の粒の大きさもそろっている。 金製首飾り 重45.0g 前1千年紀 ギーラーン州キャルーラズ出土
『ペルシア文明展図録』は、円筒形56珠、卍形3珠、球形31珠のビーズを綴った首飾り。前1千年紀のイラン北西部ギーラーン州では金製品の出土が数多く報告されるという。
1千年紀というと前1000から前1年と非常に幅広いが、図録は、アケメネス朝ペルシア(前550年建国)以前の作品とみているようだ。
円筒の列点文は裏から打ち出しているが、卍形は周縁に金の粒を一重に並べている。その中に9個の金の粒による菱形を各3つ配置しているが、あまりこなれた技術のようには見えない。卍の中心には金の粒を円形に並べ、中央には貴石ではなく金の半球をかぶせ、その周囲にも金の粒か打ち出しによる7個ほどの出っ張りがある。
4頭立て戦車模型 金製 オクサス遺宝 幅18.8㎝ 前5-4世紀 大英博物館蔵
手綱をとる御者と腰をかけた人物を乗せた馬4頭立ての二輪戦車
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、中央アジア南西部のオクサス中流域(タジキスタン南部、タフティ・サンギーン?)の神殿の奉納品(いわゆるオクサス遺宝)の一部と考えられているので、実戦用というよりもむしろ儀礼用の戦車であろう。
戦車方形の板の中央にはベス神の頭部が災いを防ぐために表されている。御者および王侯はイラン式の丈の長い長袖の衣服をまとい、頭巾(帽子)をかぶり、首輪をつけている。この王侯はアケメネス朝の帝王ではないので、バクトリアなどの総督か地方貴族であろう
という(他の図版は御者の左手側に王侯が立っているので、この図版は左右反転したものだろう)。
大きな車輪の外側に等間隔で丸いものがついている。それが戦車にどのような機能があったのかわからないが、粒金だろう。双獅子頭装飾ブレスレット 金、貴石の象嵌、ガラスの練物 高約4.5㎝幅約6.2㎝重27.4g アケメネス朝ペルシア(前4世紀頃)
『南館図録』は、カフスの装飾的な左右対称の渦巻き文の横には小さな舌状文が並び、色ガラスの練物の象嵌によって飾られている。この象嵌の技術は黒海沿岸のグレコ・ペルシア様式の金属工芸品では一般的である。竪琴のようなモティーフは、アケメネス朝時代後期のみならず、ヘレニズム時代初期にまで達する。ギリシアないしは少なくともヘレニズム化された技術によって作られた、動物の頭部をもつブレスレットの多くにみられる。
この作品がどのような文化に属するかといえば、黒海周辺の地域にあったと想定されるグレコ・ペルシアの工房と同じ文化圏に帰属しよう。西アジアの特徴である鋸歯文を用いた例は黒海北岸の金属工芸品には知られておらず、ライオンの頭部の細部はアケメネス朝の作例の細部に似ているから、前4世紀の小アジアの工房の作とするのが最も適切であるとみられる
という。
アケメネス朝はどんどん拡張し、アナトリアもその領土となっていたので、これもペルシアの作品となる。  アケメネス朝ペルシアの粒金細工は、メソポタミアから受け継いだ意匠が洗練されていったが、それだけでなく、拡大して新しく版図となった地域でも、それぞれに地域性を残しながら存続していったようだ。アレクサンドロス大王がペルシアを滅ぼした後は、粒金細工はどうなっていったのだろう。

※参考文献
「ビジュアル考古学4 メソポタミア」(編集主幹吉村作治 1998年 NEWTONアーキオ)
「ビジュアル考古学11 大帝国ペルシア」(編集主幹吉村作治 1999年 NEWTONアーキオ)
「世界美術大全集東洋編16西アジア」(2000年 小学館)
「ペルシア文明展 煌めく7000年の至宝 図録」(2006年 朝日新聞社)
「MIHO MUSEUM 南館図録」(監修杉村棟 1997年 MIHO MUSEUM)
「ラルース 世界歴史地図」(ジョルジュ・デュルビー監修 1991年 株式会社ぎょうせい)