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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/05/31

X字状の天衣と瓔珞4 麦積山石窟



永靖炳霊寺石窟の後、北魏後期の都洛陽郊外の龍門石窟までに、天水麦積山石窟があるので、先に麦積山石窟を調べてみた。


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『中国石窟天水麦積山』は、第74、78窟は炳霊寺石窟の第1669窟に造形が近いので、西秦期には造像があった。
太武帝が太平真君4年(443)にこの地を平定し、同7年(446)に仏寺を焚毁した。
452年に文成帝が跡を継ぎ、仏教が回復発展した。
5世紀後半に造像の改革期があり、一時的に涼州造像様式の影響がある。麦積山の早期龕窟は雲崗曇曜期の作品に近いという。
雲崗石窟は曇曜によって453年に開鑿が始まった(『図説中国文明5魏晋南北朝』より)ので、麦積山石窟も北魏時代は、5世紀後半からということになる。


菩薩立像 第133窟第1号龕内右壁 北魏時代
『中国石窟天水麦積山』は、典型的な秀骨清像で、腰、胯部で曲がっているという。
鰭状の天衣には肩に丸い飾りがあり、一番内側から斜めに下がって、腰よりも低い位置で左右の天衣はX字状に交差する。そしてそれぞれ上向きになって腕を通り、ひらひらと細かく揺らぎながら裙に添って垂下する。
北魏時代としか記されていないが、中国式服制の僧祇支を着けているところから、拓跋鮮卑族の孝文帝が漢化政策の一つ胡服禁止令を出した495年以降、つまり北魏後期様式の菩薩像と思われる。
交脚菩薩像 第142窟右壁 高1.6m 北魏後半(493-535)
同書は、瓔珞宝珠は貴石で装飾され、天衣は飛揚し、巾帯は長く垂下する。未来仏の弥勒であるという。
中国では、両肩に先の広がる部分を天衣、そこからのびる長い帯は巾帯と呼ぶらしい。
巾帯は膝の間でX字状に交差して、両手首に懸かり、それぞれ膝の外側に垂下する。
また、長いもの、珠状のもの鳳凰の形らしきものなど、様々なものを繋いだ瓔珞は、首から下がって、天衣の上をたどり、両手首から垂下していたらしい(現在は外側が欠損している)。
交差部には丸い半球状の飾りがついている。
交脚菩薩像 第159窟正壁右側中層 北魏時代
浮彫像の間に碧緑色の蓮華が描かれ、清新な格調という。
何も書かれていないので、北魏時代そのままの色彩を留めているのだろう。
像が小さいためか、天衣は上腹部でX字状に交差し、長く垂下することなく両腕にまわっている。
左:右壁 文殊菩薩倚像 高1.20m 右:正壁左側 菩薩立像 第102窟 西魏時代(535-557)
文殊菩薩は、手に桃形の物を持つという。
双方とも腹前で、天衣が輪っかの中で交差するが、文殊菩薩の方は右の天衣が輪っかの上を通って、下を通った左の天衣をくぐっていて、菩薩立像の方はその反対になっている。
菩薩立像 第127窟正壁龕内右側 高1.22m 西魏時代
束ねた髻は高く、僧祇支、天衣、披巾、長裙、瓔珞を着けるという。
膝上までしか垂れない短めのX字状の天衣の上にX字形瓔珞が重なる。

もう少し時代が下がり、東魏の後の北斉時代(550-577)に山東省龍興寺遺跡より出土した菩薩像の瓔珞によく似ている。数本の数珠を束ねたものの間に宝飾品が嵌っている。
このような瓔珞は、西から東へと伝わったのだろう。
菩薩立像 第135窟正壁中間龕上 涅槃経変部分 西魏
浮彫では装飾的な瓔珞が細かく表現されているが、壁画ではX字状の天衣のみ描かれている。
天衣はやはり短めで、敦煌莫高窟第285窟の脇侍菩薩像の天衣とは長さも、描き方もかなり異なっている。
菩薩立像 塑造 第22窟正壁左壁 高1.19m 北周(557-581)
右肩から下がる天衣が、輪っかの上で、左肩から下がって輪っかの下を通る天衣をくぐってている。
麦積山石窟では西魏以来のX字状に交差する天衣の表し方だ。
炳霊寺石窟では北魏後期にすでにみられた輪っか部分で交差する天衣は、麦積山石窟では西魏時代に入ってから採り入れられたようだ。
また、装飾的な瓔珞が天衣に添ってX字状に表されるのも西魏からである。
龍門石窟ではどうなっているのだろう。

つづく

関連項目
X字状の天衣と瓔珞8  X字状の瓔珞は西方系、X字状の天衣は中国系
X字状の天衣と瓔珞7 南朝
X字状の天衣と瓔珞6 雲崗曇曜窟飛天にX字状のもの
X字状の天衣と瓔珞5 龍門石窟
X字状の天衣と瓔珞3 炳霊寺石窟
X字状の天衣と瓔珞2 敦煌莫高窟18
X字状の天衣と瓔珞1 中国仏像篇
ボストン美術館展6 法華堂根本曼荼羅図2菩薩のX状瓔珞

※参考文献
「中国石窟 天水麦積山」 天水麦積山石窟芸術研究所 1998年 文物出版社
「図説中国文明5 魏晋南北朝 融合する文明」 稲畑耕一郎監修 2005年 創元社