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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/06/12

円錐ドームならミケーネにも



今まで見てきた円錐ドームは円形の壁面の上に架けられたものだが、下部から円錐ドームを造った例はもっと古くからある。それはトロス墓と呼ばれているもので、ギリシアのミケーネ時代に築造された墓である。

アトレウスの宝庫 直径14.6m床-天井高13.4m通路(ドローモス)長36m 入口:高5.4m床面幅2.7m 前13世紀後半
『図説ギリシア』は、ミケーネにある通称「アトレウスの宝庫」は、ミケーネ時代のトロス墓のもっとも発展した形態をとどめ、当時の高度な技術水準を物語っているという。
外観はなだらかな丘に横穴式墓室を穿ったように見える。
『古代ギリシア遺跡事典』は、入口の天井部分には、重さが120トンと試算されている巨大な一枚岩がのっており、上部に三角形の開放部分が設けられているという。
三角形の開放部分というのは何のために架けられたのだろう。盗掘され易くなるような気がする。
しかし、その空間は石材を持ち送るという、アーチやドームの架構法へと繋がるものである。楣石への荷重軽減する役目を果たしたのだろう。
その奥には、直径14.6m高さ13.4mのドーム状のトロス部が、ほぼ完全な形で残っているという。
ドローモスと呼ばれる羨道も長く、丘の斜面の角度を決めているが、スドミオンと呼ばれる甬道も外から見たよりもずっと長い。
それにしても外観のなだらかさとは全く異なる内部空間だ。これは横長の石材を持ち送って造られた円錐ドームと言ってよいだろう。
まず円錐ドームを地上に架構し、甬道や羨道を造った上で盛り土をして円墳に仕上げたものと思われる。
メソポタミアでは日干レンガや焼成レンガでヴォールト天井を造ったが、ドームは造られなかった。円錐ドームとはいえ、ドームという構造は、トロス墓が最古のものではないだろうか。
では、トロス墓はいつ頃造られるようになったのだろう。
『古代ギリシア遺跡事典』は、前16世紀から前15世紀にかけて、ギリシア各地の有力な集落では、ローカルな支配層のためにトロス墓と呼ばれる石積みの墓が築かれるようになった。ペロポネソス半島南西部のメッセニアに起源をもつトロス墓は、各地に波及する過程で大型化し、地方の最有力層によって独占的に用いられる墓の型式となったのであるという。

ミケーネにはトロス墓よりも以前に円形墓域というものが造られた。
砂岩の板石によって二重に囲まれた環状の遺構が、シュリーマンによる発掘で名高い円形墓域Aである。この場所には前17世紀の後半から前16世紀にかけて、6基の竪穴墓を埋葬施設とする円墳(トゥルムス墓)が築かれたという。
このように石を積み重ねて円形の壁体を築いている過程で、上方を少しずつ持ち送りにして内傾させていくと円錐ドームになることを経験的にわかったのではないだろうか。
その過程がしのばれる遺構が、ヴォイドキリアで発見されている。
『図説ギリシア』は、ピュロス湾に突出する岬の上に築かれたヴォイドキリアのトロス墓は、トゥルムス墓から発展していく過渡的な形態をとどめているという。
『古代ギリシア遺跡事典』は、前1200年頃、ミケーネは他のミケーネ文明の諸王国の都と同様に、暴力的な破壊を受けて焼け落ちてしまうという。
いわゆる「海の民」によって、ミケーネ文明だけでなく、ヒッタイトやウガリトなども滅んでしまったといわれている。
そのために、持ち送りで円錐ドームを架構したり、空間をあけることによって、上からの重力を分散させるといったアーチのような役目に繋がるような構造体も、どこにも受け継がれることなく、消滅してしまったのだった。

関連項目
ミケーネ9 アトレウスの宝庫はトロス墓
ミケーネ3 円形墓域A
ミケーネ1 円形墓域B
円形平面から円錐ドームを架ける
パンテオンのドームができるまで
ポンペイでスタビア浴場を見学したかった理由

※参考文献
「図説ギリシア」周藤芳幸 1997年 河出書房新社
「古代ギリシア遺跡事典」周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版