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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/06/16

スキンチ部分のムカルナスの発展


サーマーン廟 943年以前 外観高さ10.05幅10.8奥行10.7m ブハラ
『イスラーム建築考』は、内部の壁の中から、イスマイルの孫、ナスルⅡ(943)の名前の書かれた木札が見つかったため、多少、建立の時期がずれていたとしても、この霊廟の建設は、サーマーン朝の892年から943年間の造営になった墓廟建築であることには変わりはない。後に、イスマイル自身もこの墓廟に葬られたのであるという。
『イスラーム建築の見かた』で深見奈緒子氏は、ゾロアスター教のチャハール・ターク(拝火神殿)を写し取ったような形である。四つのアーチを意味するチャハール・タークとは、聖なる火を祀る拝火壇で、四角い部屋の四方にアーチを開口させ、その上にドームを戴く。
サーマーン王朝時代の文化、つまりペルシアの伝統文化とアラブ・イスラムの文化、それからソグド地方の固有文化の特色をよく具現した貴重な建築物であることはいうまでもないという。
ドームは半球状で、高さを強調することもなく、バランスがとれている。
内部では四壁中央の僅かに尖頭形のアーチの底辺と同じ長さの底辺で、四隅にスキンチアーチが設けられ、その上は底辺と同じ長さの8つの辺で八角形となり、十六角形・円と短い間隔で移行させている。
スキンチアーチとその頂点から隅におりる半アーチ、そしてスキンチアーチに接したレンガ積みの小面で上からの荷重を支えていて、以前は、これこそが支えていると思っていたムカルナス状の曲面は、段々と装飾のように思えてきた。
真下から見上げると、スキンチの力強いアーチと、それに直交する半アーチで、T字形を造っている。これがドームを支えていたようだ。
『イスラームのタイル』の図ではこのようになるが、ドーム架構に必要なのは、白い半アーチの方である。

この形が、同じブハラのマゴキ・アッタリ・モスク入口イーワーン(12世紀)と、イスファハーンのジョルジール・モスク(10世紀)の表門イーワーンという、ドームではないところに造られたことは前回まとめたが、その後ドームの移行部には、全く違う形が現れた。
『イスラーム建築の世界史』はイランから中央アジア一帯のペルシアでは、10世紀からイーワーンやドームなどのペルシア的要素が復活の兆しを見せていたが、イスラーム教が民衆の間に深く根付いていくにつれ、モスクや墓建築において、これらのペルシア的要素が進化し、洗練されるという。

アラブ・アタ廟 977年 ウズベキスタン、ティム
外観は、ファサードにドームを隠すほど高いピーシュターク(門構え)ができて、サーマーン廟よりも墓廟風になっている。
ドーム下の移行部の丈が伸びて、その分尖頭アーチも高く、二段重ねになった。
また、四隅にスキンチアーチはなくなり、小さな門構えのようなものの両側にムカルナスが1つずつできている。門構えの上部の尖頭アーチは平面に見える。
これを三葉形スキンチと呼ぶらしい。

ダヴァズダー・イマーム廟ドーム 1037年 イラン、ヤズド
同書は、壁上に八角ドラム。
11世紀になると、キャノピー墓のドームが大きく高くなる。サーマーン廟を端緒としたドーム技法はモスク建築にも適用されるようになるとともに、四角形の部屋から円形のドームに至る移行部の技法が飛躍的な進化を遂げる。四角形から八角形を導き十六角形を介して円形へと達する移行部が、建築の見せ場の一つとなる。また、外部には筒状の部分(ドラム)が設けられ、ドームが一層高くなるという。
『ペルシア建築』は、イスファハンのマスジェデ・ジャーミの若干部分を別にすれば、この時代の新傾向を体現している現存モニュメントのうちで最も古いのは、ヤズド所在のダヴァズダー・イマームの聖廟で、1036年の作である。正方形プランの上にドームを据えるという古代以来の課題について、この廟はほぼ完全に近い解決をしている。しかし、その解決が真に完璧なものとなるのは次のセルジューク朝時代であり、イスファハンにおいてであったという。
あいにく修復中で中に入ることができなかったので、スキンチの画像は『イスラーム建築の世界史』より。
見上げた
ハシムの世界史への旅12イマームの霊廟では、アラブ・アタ廟の小さな門構え状のものが大きくなり、四壁中央の尖頭形のアーチの底辺と同じ幅と高さの辺、つまりここですでに八角形を造っている。
三葉形スキンチは、下部は隅に小さなイーワーン型が2つでき、その両側にムカルナスが一つずつできている。上部は半ドーム形。それが門構えの尖頭アーチの中に収まっている。

マスジェデ・ジャーメ南ドーム室(主ドーム) 1083年 高さ24.5奥行14.4 間口14.3m
『ペルシア建築』は、インスクリプションが語るところによれば、広間はニザーム・ウル・ムルクの命にもとづき、マリク・シャーの治世の初期(1072年以降、たぶん1075年以前)に建設されたという。
この広間-宏壮で気品があり侵しがたい威厳をもつ主礼拝室-は直径15.2mという巨大なドームをいただくが、その場合、ドームを支えるために彫りの深い三ツ葉形のスクインチ(この形はヤズドにあるブワイフ朝時代のダワズダー・イマーム廟のスクインチから発展したもの)が使われている
という。

1080年頃に建造されたともいわれ、深見奈緒子氏のヴォールティングの諸形態では、1083年建立という。
ダヴァズダー・イマーム廟と同様に、スキンチ高さのところで壁面は八角形になっていて、その上に低い尖頭アーチが16個並んで十六角形・円へと移行していく。この移行部はちょっと間延びした印象だった。
ダヴァズダー・イマーム廟と違いは、小さな門構えが4つ並んだ上に三葉形が現れていることだ。その中は、隅の特に小さな門構えの上にムカルナス2つでスキンチ状の曲面ができ、その上に浅いヴォールト天井がのっている。その両側の小さな門構えの上には、もう少し大きく、高いムカルナスがある。
見上げると、同じ比率のはずのスキンチだが、より外に出っ張った感じがする。

マスジェデ・ジャーメ北ドーム室(ゴンバディ・ハーキ) 1088年 高さ19.8直径10.7m
『ペルシア建築』は、審美的な観点からすれば、この大モスクにおける最も重要な区画は、通称「ゴンバデ・ハーキ」と呼ばれる北端のドームであろう。規模こそ小さいとはいえ質的にすこぶる秀逸なこのドームは、中軸線上で主礼拝室のちょうど正反対に当たる位置にあり、1088年の銘を持つ。おそらくこれは現存する最も完全なドームと言えよう。その荘重にして、しかも人の心を捉えてやまぬ力は、規模の問題(高さ19.8m、直径10.7m)ではなく、意匠の問題であるという。
やはりスキンチ内も壁面の尖頭アーチ内も、三葉形になっている。
しかし、スキンチの下部の小さな門構えは4つとも大きさが揃っていて、それぞれの上にのるムカルナスも安定した形になっている点が、少し前に建立された主ドーム室との違いのようだ。
見上げると、小さなムカルナスの大きさがほぼ等しいので、安定感があり、それが美しさにも繋がっているのではないだろうか。
後世にドーム下の四隅のスキンチが2枚の大きなムカルナスだけに造られているのをよく見かけるが、その原点が、このようなイスファハーンのマスジェデ・ジャーメ内に残るスキンチの一番隅にあって互いに接している2枚の小さなムカルナスなのではなだろうか。

また、このような小さなムカルナスが複数スキンチに配されるようになってから、それがより細かく、段数も多く造られるようになっていく。

1104-18年 セルジューク朝 イラン、ゴルペーガーンの金曜モスク
4段の複雑なムカルナスとなっている。

それが入口イーワーンに現れたのが、12世紀再建とされる、ブハラのマゴキ・アッタリ・モスクだろう。
 この面が、12世紀のままのものであるとしての話だが。

サーマーン廟のスキンチはイーワーンに

関連項目
ヤズド ダヴァズダー(十二)イマーム廟
ムカルナスの起源
ムカルナスとは


※参考サイト
ハシムの世界史への旅12イマームの霊廟

参考文献
「イスラーム建築の見かた」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版
「イスラーム建築の世界史 岩波セミナーブックスS11」 深見奈緒子 2013年 岩波書店

「聖なる青 イスラームのタイル」1992年 INAX BOOKLET