お知らせ

忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/09/18

ハフト・ランギーの起源は浮彫タイル


もう10数年前のことになるが、タイルに興味を持つようになった。
その頃、岡山市立オリエント美術館で特別展や講演会などがあり、ある程度の知識は得られた。
そして、色タイルをそれぞれの形に刻んで組み合わるという手間のかかるモザイク・タイルによる壁面装飾を、より簡単にできるものとして、ハフト・ランギー(クエルダ・セカ)という技法が発明されたのだと、長い間思っていた。
ところが、今回ウズベキスタンの旅をまとめるためにタイルについて調べているが、どの本にもそのようなことは書かれていなかった。私の妄想だったのだ。

『砂漠にもえたつ色彩展図録』で深見奈緒子氏は、モザイク・タイルとは、一色の釉薬をかけた板状のタイルを焼き、それを細かく刻んでモザイクのように組み合わせて文様を作る技法である。この技法はペルシア語でモアッラグと呼ばれ、下絵付 けタイルやハフト・ランギーとは異なり、タイルを切り刻んで修正するという工程が付け足される。言いかえれば、下絵付けやハフト・ランギーは陶器にも同じ 手法が見出されるが、モザイク・タイルは陶製品を用いた建築特有の手法といえるのであるという。

シリング・ベク・アガ廟(1385-86年)
同書は、シャーヒ・ズィンダーにイランで熟成した植物文のモザイクタイルが出現するのは1372年建立のシーリーン・ビカー・アガー廟が最初であるという。
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、シャディ・ムルク廟の向こうに、1386年に亡くなったアムール・チムールの妹シリン・ベク・アガの廟があるというので、一応1385-86年としておく。
ほぼファサード全面がモザイク・タイルで覆われている。しかも、完成度の高いデザインと技術で。

そして、ハフト・ランギーの初現について同書は、何といっても注目せねばならないのは、ハフト・ランギー技法の出現で、先のサファヴィー朝技法の先駆けとなった。その初例は管見の限りシャーヒ・ズィンダーに見受けられる。
サファヴィー朝の首都イスファハーンに建立されたマスジディ・シャーでは、ほぼ20 ㎝角のタイルに、青を基調に空色、緑、白、黄、黒などの彩色がなされており、この技法を現代イランのタイル職人たちはハフト・ランギーと呼ぶ。ハフト・ラ ンギーとはペルシア語で七色を意味し、となりあう色と色が交じり合わないように、まず境を溶剤で線描し、線に囲まれた面に色を発する釉薬を挿して焼き上げ る方式であるという。

ウスト・アリ・ネセフィ廟 1360-70年
シリング・ベク・アガ廟よりも早い時期にハフト・ランギーは出現していた。
これがごく浅いが浮彫になっているのには、後の時代のクエルダ・セカを見ていた者には奇異に感じた。
それについてはこちら
ところで、この大きな画面輪郭いっぱいに表された意匠はなんだろう。花瓶のようにも見えるし、柱礎のようにも見える。その内側には生命の樹が描かれているのかな。
拡大してみると分かり易いが、例えば左上、地のコバルトブルーよりもトルコブルーの線は盛り上がっていて、黄色い線よりも高いし、少し下の赤い部分はトルコブルーの輪郭よりもくぼんでいる。

ウスト・アリ・ネセフィ廟にやや送れて建造された廟には、柱礎が浮彫タイルでつくられている。

シャディ・ムルク・アガ廟 1372年
玄関の上と左右に表されたアラビア文字の銘文の両下部にこの文様があるので、柱礎だっのだ。
かなりの高浮彫で植物文を表している。トルコブルーの小さな葉にコバルトブルーと白で色分けされた花。その花は色が滲んでいるようないないような。
いや、下中央に置かれた鉢のようなものは、はっきりと凹んだ線が色の異なる釉薬の間にある。
ということは、『世界のタイル・日本のタイル』が、鮮やかな色彩を用いた明快な文様が特徴のクエルダ・セカは、油性の顔料で輪郭を描いたのち、各面を色釉で塗りつぶして焼成したものである。顔料は燃えてしまうため、輪郭線が色釉の部分よりも凹んだ状態で残る。イスラーム支配下にあったスペインでも用いられ、クエルダ・セカという名称もスペイン語から生まれた。本来は「乾燥した紐」を意味するという、ウスト・アリネセフィ廟で見た最古のハフト・ランギーよりも進んだ技法が、この高浮彫の中に出現していることになる。 

シャーヒ・ズィンダ廟群で浮彫タイルの柱礎を遡っていくと、

クトゥルグ・アガ廟(1360-61年)
主文の彫りは浅いものの、やや高い浮彫で柱礎が表されている。
輪郭線の白と同じレベルで柱礎が表され、その周囲もほぼ同じレベルで、窓の中は3段ほど低いレベルでもう少し浅い彫りで植物文が表される。
このように浮彫の場合は他の部分とは隙間があるので、異なる色の釉薬をかけても、別の箇所に釉薬が滲むことはなかったのだろう。

ホジャアフマド廟(14世紀半ば)
すでに柱礎が浮彫タイルで表されている。白い花にコバルトブルーが滲んでいるような。

アミール・ザーデ廟(1386年)
ウスト・アリ・ネセフィ廟よりも時代は下がるが、凹凸ははっきりしている。これは浮彫タイルかな、それともハフト・ランギーと呼んでもいいのだろうか。


深見氏は、現存実例の希少さゆえに推論を脱することは難しいが、シャーヒ・ズィン ダーの初期の数例とトゥグルク・ティムール廟はセルジューク朝の文様積み煉瓦建築をそのまま釉薬タイルで置換えたような建築で、幾何学文が多く、部品化に 徹している。部品の中には、柱頭や大型のパネルもあり、大型の塼の文化をもつ中国との関係が想起される。シャーヒ・ズィンダー最古のクーサム・イブン・ アッバース廟が建立された1300年頃の中央アジアには、イランを中心としたイル・ハーン朝のタイル文化とは異なるもうひとつのタイル文化の中心が存在し たとは考えられないだろうかという。
確かにシャーヒ・ズィンダ廟群では浮彫という別のタイル文化があった。そして、浮彫タイルを部分的に色を変える工夫から、ハフト・ランギーと呼ばれる華やかな色彩のタイルが誕生したのだった。

関連項目
ホジャ・アフマド廟以前の浮彫青釉タイル
ハフト・ランギー(クエルダ・セカ)の初例はウスト・アリ・ネセフィ廟
世界のタイル博物館6 クエルダセカのタイル
シャーヒ・ズィンダ廟群16 ホジャ・アフマド廟
シャーヒ・ズィンダ廟群14 クトゥルグ・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群8 ウスト・アリ・ネセフィ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群6 シリング・ベク・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群5 シャディ・ムルク・アガ廟
シャーヒ・ズィンダ廟群3 アミール・ザーデ廟

※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン展図録」 2001年 岡山市立オリエント美術館
「世界のタイル・日本のタイル」 世界のタイル博物館編 2000年 INAX出版
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 1999年 小学館