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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/09/15

アク・サライ宮殿の門 タイルの剥落


シャフリサブス、アク・サライ宮殿(1380-96年)門西側の塔は、タイルの色が濃い下の方がオリジナルで、上の方が修復タイルだろう。ほぼバンナーイで装飾されている。
バンナーイについて『イスラーム建築の世界史』は、ティームール朝盛期に、急速に大建築を量産する中、 タイル技法は絵付けタイルとモザイク・タイルに収斂していく。建物の軀体部と被覆部が分離し、建物各所がタイルで覆われるようになると、次第に矩形の土色 のタイルと色タイルを組み合わせるハザール・バフ(バンナーイー)と呼ばれる技法が主流となり、大柄な幾何学文様が建物のファサードを覆い尽くすという。
バンナーイは大きな文様に仕上がるので、細かく色タイルを形に刻んで作り上げた植物文のモザイク・タイルなどよりは、遠くからでも文様が見える。
ここでは、コバルトブルーで卍文を組み込んだ幾何学文、その中にトルコブルーで表したアラビア文字はアッラーなどの短い文字列を繰り返している。
『ウズベキスタンの歴史的な建造物』には今まで見たことがないようなタイルが載っていた。これがどこを写したものかわからないが、上図版の一番下に同じようなタイルが残っている。しかし、自分の撮った写真でみると、すでに失われていた。
このタイル技法は、輪郭線よりも色のある箇所が凹んでいるので、クエンカではないだろうか。
『世界のタイル・日本のタイル』は、8世紀半ば以降、イベリア半島南東部を支配したイスラーム教徒によって、新しい製陶技法がヨーロッパ大陸にもち込まれた。15世紀後半には、油性顔料で輪郭線を描くクエルダ・セカ技法が、続いてクエンカと呼ばれる技法が伝わった。
クエンカ技法は、型を使い、輪郭を残して文様部分を凹ませ、この凹部に色釉を詰めて焼成するもの。モザイクに近い効果が得られるという。
最も手間がかかるとされるモザイク・タイルの文様を、簡便に大量生産するための新たな技法ということになるのかな。
アク・サライ宮殿ではそれが1380-96年に現れているが、サマルカンドのシャーヒ・ズィンダ廟群では、アミール・ザーデ廟(1386年)に使われている。どちらが先か微妙。  

門の内側はタイル装飾がよく残っている。

大アーチ下の壁面
絵付けタイルが多く見られる。下の方のタイルの剥がれた箇所に、六角形のタイルの痕跡が並んでいる。
六角形タイルとその剥落した跡
同じ文様の六角形のタイルを並べているのではなかった。同じ文様のタイルもあるが、数種類の絵付けタイルを組み合わせてこの唐草文とも言えない植物文をつくっている。

左手の壁面はモザイク・タイル。何故わかるかというと、その小さな部品がところどころ剥落しているから。
アラビア文字の銘文には一重に渦巻く蔓草が2列地文になっている。
それについてはこちら
中央に大きな緑の花文を配し、そのまわりにはトルコ・ブルーの蔓草が繁茂し、黒い花弁状に縁取られた枠の外にまで伸びている。それはほぼ左右対称のように見えるが、剥落箇所が多いので、断定はできない。

螺旋状の付け柱を回ると小壁面が現れる。
モスクのイーワーンにも螺旋状の装飾があったが、このようなものは、衣装の縁飾りなどに用いられるものを借用したのかも。
付け柱もモザイク・タイルで、やはり部分的に剥落が見られる。
螺旋の下部
何故部分的に剥がれるのだろう。青や緑の色タイルは比較的残っているが、どの色が剥がれ易いのだろう。
その基礎には一重に渦巻く蔓草を地にアラビア文字が表されている。剥落の跡に白いものが盛り上がっているのが見られるが、これは塩だろうか。
また、色タイルが剥がれているのではなく、タイルの目地から塩分やそれを含んだ漆喰が膨張して表面に出てきたのかも。
更に下の花瓶のようなものは、もっと盛り上がりが強くなり、粉を吹いたような跡も見られる。
上の方が傷みが少ない。
中には、一体何が起こったのだろうというようなへこみがあったりする。
このような剥落の仕方は、色タイルの細さとか小ささによるのでは。


東の内側の同じ部分。こちらの方が面積的にはよく残っているが、部分的に剥落した箇所が多い。
付け柱に近い壁面中程
モザイク・タイルは、色タイルを部品の形に削り、裏側を削って小さくし、ある程度の大きさに裏向けに組み合わて漆喰で固め、それを壁面に貼り付ける。
ここでは幾何学文の部品に成形されたタイルが、その漆喰から剥がれ落ちたが、漆喰そのものは壁面に張り付いたままになっているため、当時の色彩はわからなくても、文様は復元できそう。
その下方でも、植物文様のモザイク・タイルがかなり剥落しているが、やはりそれを固定していた土台となる漆喰は残ったために、このような輪郭だけを浮彫りしたような跡がある。
その下側では、漆喰と共にタイルも剥落してしまっている。

付け柱横では、等間隔で横に段ができている。
モザイク・タイルはある程度の大きさにしたものを裏から漆喰で固定する。その一つ一つを貼り付けた隙間から塩分が浸み出て、このように等間隔に深く剥落するのだろうか。

このようにタイルが剥落するのは、塩分が地中から昇ってきたために漆喰が膨張したというのも大きな原因ではないだろうか。
その証拠は塔の基礎で見ることができる。

中央アジアに行くと、古い時代に海だったので、地中に塩分が残っていますという話をよく耳にする。その塩分と乾燥した強烈な暑さが、シャイバニ族の破壊を免れた宮殿の門に残る貴重なタイル装飾を蝕んでいる。

関連項目
シャフリサブス2 アク・サライ宮殿
世界のタイル博物館5 クエルダ・セカとクエンカ技法
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの

参考文献
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 アレクセイ・アラポフ 2010年 
「岩波セミナーブックスS11 イスラーム建築の世界史」 深見奈緒子 2013年 岩波書店