お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/04/25

マスジェデ・ジャーメ オルジェイトゥのミフラーブ


イル・ハーン朝のスルタン、オルジェイトゥは、西イーワーンの北側に小さな礼拝室を建てた。そのミフラーブは全面が浮彫漆喰による植物文様やインスクリプションで覆われた繊細な作品である。
この図版を掲載している『GANJNAMEH7』は1999年出版のため、結界が木製だが、現在ではガラス。
 
ミフラーブ 1310年 ストゥッコ イラン、エスファハーン
『世界日大全集東洋編17 イスラーム』は、このミヒラーブは、イル・ハーン朝第8代ウルジャーイトゥー(在位1304-16)の時代に制作された。
6mを超す高さのミヒラーブ全面に施された装飾においては、伝統的なイスラームのミヒラーブ装飾と、イランの伝統的ストゥッコ装飾が、見事に調和している。高浮彫と浅浮彫が巧みに使い分けられ、ミヒラーブ全体に立体的効果が与えられている。蔓草の葉は、イランの伝統的なストゥッコ装飾に用いられた細かな幾何学文様で充填されている。大アーチの中を充填している渦巻形蔓草文様は、同時期のコーランの装飾文様にも見られ、イルハーン朝において完成した繊細な蔓草文様の一つである。
帯状の銘文には、十二イマームへの賛辞やアリーの伝承が記されており、ウルジャーイトゥーが、1309年にシーア派へ改宗したことを反映している。銘文は美しいスルス書体で書かれているが、上部アーチの建設由来を記した銘文には、書家ハイダルのサインがある。ハイダルは、イスラーム世界の著名な能書家ヤークートの弟子の一人であったという。
ミナレットの塔身にはタイルなどで大きくムハンマドやアリーなどの名をクーフィー体で表すが、クーフィー体が角張った文字であるのに比べて、スルス体というのは、何と流麗な文字だろう。しかも、植物文と複雑に絡み合っているのだが、ガラスの結界のために、柱間一つ分の距離までしか近寄ることができず、細かいところは肉眼では確認することはできないのだった。
このミフラーブ壁は、ソグド州立博物館(タジキスタン、ホジャンド)のパネルにあったゾロアスター教の拝火壇に似て、アーチが上下2つ、上のアーチは柱頭のある円柱(付け柱かどうか判断できない)に支えられている。下のアーチはそのまま床まで達しているが、それがアーチと付け柱に変化していったとも考えられる。
ミフラーブの方は平面的な造りなのは、メッカの方向(キブラ)を示すに過ぎないからで、拝火壇は、その名の通り、ここで聖なる火を焚く場所だから。
同博物館では、アシュト(フェルガナ盆地)にあったミフラーブ(10-11世紀)も展示されていた。アーチというよりはアーチ形の壁龕で、アーチは一つしかないが、下には四角い区画があって、ゾロアスター教の名残のよう。このようなものから上下にアーチを付けるものへと変遷していったのかも。
こちらも浮彫漆喰によるインスクリプションや素朴な文様で荘厳されている。インスクリプション帯にはまだ蔓草がない。クーフィー体かな。

このミフラーブ壁をアーチの上下で区切って見ていくと、

上部
淡い色合いながら、遠目にもそれぞれに色が違うように見えたのは、漆喰に彩色しているからだ。
漆喰装飾は古くからある建築装飾だが、イスラームでも早くから用いられてきた。
それについてはこちら
コの字形の外枠、尖頭アーチの枠、そして尖頭アーチ内と、3箇所にスルス体の文字が刻まれている。
外側の文様帯と言わず、その下の大きなパルメット文から派生したような植物文体といわず、確かに葉という葉は、小さな三角を並べた幾何学文で埋め尽くされている。
同じ文様の繰り返しのようで、細部が少しずつ違うことから、これが型作りではなく手彫りであることが分かる。しかも、この大きな植物文の文様帯は、浮彫ではなく透彫だった。
これが最も大きなスルス体のインスクリプション。この彩色は当初の色だろうか、暗い室内でもある程度褪せているのだろうか。
地はコバルトブルーで、「渦巻形蔓草文様」は茶系?文字の色は遠目には白く見えたが、拡大してみるとそうでもない。
蔓が等間隔ではない渦巻に表され、葉は蔓をくぐったり、越えたりしているが、文字の上にくることはない。
アーチの枠と中側では色が違うように見える。
上部アーチに建設由来を記した銘文と、書家ハイダルのサインがあるということだが、中側のことだろう。
アーチ上の左右部分(スパンドレル)には、透彫にも思えるほどの高浮彫の植物文。その真ん中は蔓草が盛り上がっている。
アーチ枠はコバルトブルー?の地に節のある蔓草文、その上に緑色っぽいインスクリプション。そしてそれらを仕切る細い線でさえ、それぞれに文様を違えている。
建築由来を記した銘文の下側にも、大きく渦巻く蔓草が、これはほぼ同じ間隔で表されている。葉の中も三角文で埋められている。

下部

やっぱり彩色されていたように感じる。
上の尖頭アーチを支える付け柱の柱頭はナツメヤシの葉かな。その下にはクーフィー体の文字のようなものと、隙間を埋める蔓草。
外側のコの字形のインスクリプションとの境には4本が絡む網目文。

下部も上部に似た区画となっている。
コの字形に巡るインスクリプション、幅広の文様帯、その下に尖頭アーチ形。
上側はコバルトブルーの地、蔓草の茎は、節のある管を半分に切ったようで、その上にインスクリプションが表される。茎も葉も文字の上に出ることはない。
下側は一見風変わりな幾何学文様のようだが、最下部にインスクリプションがある。これもクーフィー体?

アーチの内側はかなりくぼんでいる。
アーチ・スパンドレルには、ほぼ左右対称に広がる植物。その茎は二重になっている。葉を埋める三角は型押しのよう。
アーチ形の帯には、先ほどもあった節のある茎の蔓草とインスクリプション。
アーチの龕内は、透彫にも見える高浮彫で、左右対称に、複雑に絡み合う植物。
中央にはどんな植物を表しているのか想像もつかないが、生命力に溢れている。

龕の両脇にも精緻な浮彫漆喰。
外から、三角で埋め尽くされた蔦の葉
上から続くインスクリプション帯
その内側
左端は付け柱で、複雑な縦長の四弁花文の輪郭線がその上下で組紐のように絡まり、上下に続いている。四弁花文を埋めるのはやはり三角が多い。
真ん中は下アーチをコの字形で囲んでいる文様帯で、蔓草は節のある茎。縦長の葉は、小鳥が留まっているかのよう。
その内側は下アーチを支える付け柱と柱頭。左端の長い付け柱と文様も柱頭も同じ。
下アーチをコの字形に囲む文様帯の上の方には地がコバルトブルーだったような痕跡が。
そして、蔓には葉だけでなく、六弁の花も付いていた。

修復部分もありそうだが、間近でじっくり見てみたい、美しい漆喰装飾のミフラーブだ。

なお、オルジェイトゥは、アルボルズ山脈に近いスルタニーエに美しい墓廟を建造した。
『ペルシア建築』は、ガーザーンの跡を継いだ弟のウルジャーイトゥーの治世(1304-16年)になると、その命によって、スルターニエの美しい広々とした牧草地に驚異の新都市が出現した。この都市は帝国の首府たるべく計画されたものである。着工は1305年、竣工は1313年のことで、建設工事は雄大にして、しかも迅速であった。結果として出現したのは、タブリーズとほとんど同じ規模を持つ大複合体であり、その中心部には、ペルシア建築の最高傑作の一つたるウルジャーイトゥー自身の墓廟がそびえ立っていたという。
それについてはこちら

マスジェデ・ジャーメ 南ドーム室


関連項目
漆喰装飾を遡る
ソグド州博物館2 ゾロアスター教からイスラームへ

参考文献
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 1999年 小学館
「ペルシア建築」 SD選書169 A.U.ポープ著 石井昭訳 1981年 鹿島出版会