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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/01/19

パフラヴァン・マフムド廟のタイル2 廟内部


パフラヴァン・マフムド廟について『ウズベキスタンの歴史的な建造物』は、パフラヴァン・マフムド(1247-1326)は詩人、哲学者、レスラー及び毛皮加工業者であった。伝説によると、彼は自分のワークショップに埋葬されたそうである。14-17世紀に、パフラヴァン・マフムドの埋葬地の周りに墓地が造られた。
1810年にムハマド・ラヒム・ハンによって廟は再建された。新しい廟には古い墓と高いダブル・ドームがあるハナカからなっていて、シルエットがヒヴァのシンボルとなったという。

ファサードから入ったところがハナカで、四壁からドームに至るまで、全ての壁面がタイルで覆われていた。全体にくすんだような色調なのは、黄色か茶色の釉薬が使われているから。

所在不明のパネル1
パネルには渦巻く蔓草文が、文様帯には二重蔓の渦巻かない牡丹唐草のような植物文が描かれている。
主文と文様帯を隔てているのが茶色いリボンのような狭い帯。ここではS字に繋がる花と葉が交差して、地文に細い線が描かれている。

所在不明の大パネル2
細い蔓は渦の巻き方が密ではないが、左右対称に展開している。
その縁の文様帯
花は異なるが、二重蔓の牡丹唐草のよう。黄色か茶色の文様帯は幅が広く、その左には四弁花文の細い文様帯がある。

所在不明のパネル3 おそらく西壁
茶色いリボンが壺が連続するような形をつくっているが、細い蔓草は、枠に関係なく渦巻き、枝別れする。
花の小さな赤が効果的。
茶色いリボンの枠は同じ形だが、花にさした赤の場所が異なる。

おそらく西壁パネル
柱礎のような形の下に左右対称に渦巻く蔓草文が描かれる。
蔓草は細いが、枝別れする箇所が大きく表される傾向は、クニャ・アルクやタシュ・ハウリのものと同じ。

東壁上の大パネル
8点星・六角形などの幾何学文を黄色い帯が作る。

東壁扉口北側の小壁
蔓草の渦巻が密でないものもあるが、このように何本もの細い蔓がそれぞれに渦巻く複雑なものもある。
そして、ここでは、茶色の細い線は、これまではトルコブルーが置かれていたようなところにも入り込んでいる。
ちょっと雑だなと思うのは、蔓が交差するところで、くぐったり越えたりせず、また地図の道路のような混じり方もせず、どの線もそのまま引かれていることだ。

ドーム
ドームは、ズームしても細部が写しきれない。花瓶のような形の中に、渦巻く蔓草文が細かく描かれているのだろう。黄色っぽい色がさしてある。
移行部
帯文様は茶色っぽいが、確かに黄色い色がところどころにさしてある。

ハナカでは茶色く見えていた帯文様が、パフラヴァン・マフムド廟内では黄色い。実際に色が違うのか、照明の関係で違って写ってしまったのか、今となってはわからない。

南壁龕内
幾何学文の枠内に左右対称または上下対称の渦巻く蔓草文が描かれているのは従来通り。
別のパネルでは釉薬が滲んでいた。
六角形4つを組み合わせて、この十字形ができ、六角形の一つの角に大きな正方形が重なっている。

北壁左右のパネル
8点星と十字形の組み合わせ。8点星には左右対称の蔓草、十字形には左右上下対称の渦巻かない蔓草文が描かれる。

東壁扉口上部
柱礎のような形のパネルが並ぶ。


      パフラヴァン・マフムド廟のタイル1 中庭
                              →イスラム・ホジャ・メドレセのタイル

関連項目
渦巻く蔓草文の絵付けタイルの起源は
タイルの花瓶や釣鐘のようなものは生命の樹
パフラヴァン・マフムド廟2 廟に入る
クニャ・アルクのタイル1 謁見の間
クニャ・アルクのタイル2 モスク
タシュ・ハウリ宮殿のタイル1 幾何学文と植物文

※参考文献
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 A.V.アラポフ 2006年 SANAT