お知らせ

忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/10/16

サーマーン廟2 建築の起源は?


ブハラの西郊にあるサーマーン廟(914-43年)は、まだ施釉タイルのない時代、平たい焼成レンガを積み上げて様々な文様を織りなした美しい建物である。
ただ、四隅の付け柱と、ドームの周囲に4つある円柱の頂部のような突起とは、明らかにずれがある。

円柱の付け柱と頂部の間にあるアーチ列について『イスラーム建築の世界史』は、水平帯の内側にはドームの周囲を巡る廊が設けられ、八角形周廊墓の周廊が退化した形といえるという。
周廊墓はサーマッラーのクッパ・スライビーヤに見られる。

クッパ・スライビーヤ廟 862年 イラク、サーマッラー
『イスラーム建築の世界史』は、聖なる岩を記念する建物で、多くの信徒が集まって礼拝を行うモスクではない。記念建造物の伝統はサーマッラーのクッパ・スライビーヤと呼ばれる墓建築へと繋がる。これは岩のドームと比べるとドームの直径が3分の1ほどで、四角い部屋にドームを架け、その周囲に八角形の周廊を回す。このような墓建築を八角形周廊墓と呼ぶ。
ドームは建造物に象徴性と中心性を与え、周廊は、カーバ神殿を巡回する儀礼から、聖化を意味するようになる。八角形周廊墓は両者を有する形だが、広く普及する墓建築の形式にはならず、のちに周廊が退化する。1000年までではイランに1例だけ類例が残るという。

サーマーン廟では、このような周廊を外壁の上部に置くことによってすっきりとしたが、建物に比べるとドームが大きく見える。

『イスラーム建築の見かた』は、ゾロアスター教のチャハール・ターク(拝火神殿)を写し取ったような形である。四つのアーチを意味するチャハール・タークとは、聖なる火を祀る拝火壇で、四角い部屋の四方にアーチを開口させ、その上にドームを戴く。
サーマーン王朝時代の文化、つまりペルシアの伝統文化とアラブ・イスラムの文化、それからソグド地方の固有文化の特色をよく具現した貴重な建築物であることはいうまでもないという。
四隅の付け柱は拝火神殿とは関係がなさそう。

『イスラーム建築の世界史』は、アッバース朝の小規模モスクでは、間口3間奥行3間の構成が目立つ。小規模モスクは各地にあり、天井の架け方や柱の形がそれぞれの地域の特色を表す。オリエント世界では、格子状に配された太い円形のピアの上に、同形同大の9つのドームを載せるバルフの9ドーム・モスクと、中央に大きなドーム、四隅に小ドームとし、五の目平面をとるハザラのモスクがあるという。
同書にはハザラのモスク(10世紀)の外観図版はなく、内部から主ドームを見上げたものがあるだけなので、四隅の小ドームというのがわからないのだが、大きさが異なるということなので、格子といっても、中央が大きく、それを取り囲むものは小さいのだろう。
それにしても、このドームへの移行部がどのようになっているのか、気になるなあ。
とりあえず、四隅の小ドームは小規模モスクに見られるもので、ゾロアスター教とは関係がないことがわかった。
では、四隅の付け柱の方はどうだろう。同廟では、開口部のアーチを支えている円柱も付け柱だが、このような装飾的な柱を建物の四隅にも付けた方がすっきりすると考えたのだろうか。

『中央アジアの傑作サマルカンド』は、現在まで、サマニ朝の建築物はあまり残っていない。しかし、考古学上の発掘とそれらのデータに基づくと、サマニ朝の建築の概念を知ることができる。また、唯一ブハラに残った、9世紀から10世紀のサマニ朝の霊廟を見ると、サマニ朝の建築様式も理解できる。その点から判断すると、サマニ朝の建築はソグドの皇帝と寺院の建築様式から強い影響を受けていたことが明らかになる。またそれと同時に、イスラム教の普及に伴い、中央アジアに新しい建築様式が取り入れられた。街の構造も変化してきた。
サマニ朝の時代に、マーワラーアンナフルの街に初めて、焼いた煉瓦で作ったミナレットとドームのある廟が建てられるようになった。発掘のデータによると、10世紀には、アフラシアブの丘に、最初の大きなドームのある建物が現れたという。
アフラシアブの丘の西部に、9世紀から10世紀のサマニ朝の宮殿の遺跡が発掘された。残存しているのは、2つのホールの壁のみであるそれらは優雅な陶器の壁の腰板で装飾されていた。様式で、、似たような陶器の壁の腰板がワラフシャにあったブハラの王の宮殿で発掘された(7-8世紀)。その宮殿の装飾から、サマニ朝の時代にイスラム教が魔力のある自然崇拝と共存していたことがあきらかになったという。
10世紀に建造された大きなドームのある建物はサーマーン廟だけではなかったようだ。
しかしながら、『中央アジアの傑作サマルカンド』には上記の文と共に、浮彫焼成レンガ2点と下記の建物断面図3つが掲載されているのだが、残念なことに、どれがアフラシアブの丘のもので、どれがブハラ近郊のワラフシャ出土のものかが明記されていないのだった。

こちらはドームに段があるので、まだ正半円ドームが架けられない時代のものだろうか。建物の両端と真ん中に円柱があるが、正方形の建物の四隅に柱があることを示しているのかな。
こちらのドームは縦溝があって、サーマーン廟よりも装飾的になっているがどうも、正方形平面ではなく、円筒形の建物に大きなドームが載っているような描き方で、付け柱は円筒上部の周廊にのみありそうだ。
このような建物を造っていくうちに、サーマーン廟のようなフォルムと、焼成レンガので構成した様々な文様をちりばめた美しい建物が誕生したというしかない。

       サーマーン廟1 入口周りが後の墓廟やメドレセのファサードに

                           →サーマーン廟3 浮彫タイルの起源?


関連項目
サーマーン廟4 平たい焼成レンガを重ねた文様
ウズベキスタンの真珠サーマーン廟1 美しい外観

※参考文献
「シルクロード建築考」 岡野忠幸 1983年 東京美術選書32
「イスラーム建築の見かた-聖なる意匠の歴史」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版
「岩波セミナーブックスS11 イスラーム建築の世界史」 深見奈緒子 2013年 岩波書店
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社