お知らせ

忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/11/08

田上恵美子氏の個展は今年も「すきとおるいのち」


久しぶりに届いた田上恵美子氏の個展案内だが、期間は2008年11月1日~11月15日と、すでに半分は終了している。それによく見ると田上氏は恵美子ではなく、惠美子さんだった。テーマは去年同様今年も「すきとおるいのち」である。
去年はギャラリー角のショーウインドウを覗くと2連の首飾りが展示してあり、ひっくり返りそうになった。
今回はいったいどのような作品が創られているのだろうか。 「すきとおる」と言えば、今年の正倉院展には白瑠璃碗が出品されていた。写真では六角形の切り子の中に小さな六角形が蜂の巣のように並んで見えているが、これが暗い館内では見られるのだろうかと思っていた。
しかし、かなり大きな展示ケースの中央に置かれてはいたが、思いの外しっかりと1つ1つの六角カットの中に小さな六角形がびっしりと並んでいるのが見えた。それに、底の中央に大きな円形、そのまわりに7つカットされているのもよく見えた。西アジアは古くから奇数崇拝だったというのを思い出した。

白瑠璃碗(はくるりのわん)  型吹き製法でカットグラス 5~6世紀頃 ササン朝ペルシア(現イラン、ギラーン州周辺)
『第60回正倉院展図録』は、製法は、溶かしたガラス素材を拭(ふ)き竿(さお)につけ、半球形の型に当てながら吹き膨らませた「型吹き製法」で、切子は回転する砥石(といし)を押し当てて一つ一つ磨き上げたものであるという。1999年発行の『正倉院への道-天平の至宝』ではやや淡褐色の透明ガラス製で宙吹技法により成形されているとあったが、研究が進んだのだろう。それについては、こちらをどうぞ。

そして、「白瑠璃碗」と呼ばれているので、無色透明なものを想像していたが、意外と色が濃かった。
アルカリ石灰ガラスらしいわ
透明でも不純物はかなり入っていたはず
何が入ったらこんな色になるの?
透明なものを黄色っぽくするのは鉄しかありえん 何故白瑠璃碗の色にこだわったのかというと、このようなカットグラス碗は今まで何度か見たことがあるが、どれも出土品なので、風化していて透明でないものばかりだったのだ。
つくられた時からこんな色?それとも経年変化で無色のものがこんな色になったの?
それはよくわからん
そうそう、今回は参考品として、奈良国立博物館蔵の風化した円形切子碗も展観されていた。何故か白瑠璃碗と離れたところにあった。
類品や破片は、チグリス川とユーフラテス川に挟まれたイラクのキシュ(Kish)遺跡、あるいはカスピ海の南岸のイラン北西部にかけての地域で5~6世紀頃に製作されたものと考えられている。おそらくササン朝ペルシアの王侯たちに分配され、さらにその一部が通商などによってはるばるシルクロードを越えて運ばれたのであろう。本品とほぼ同形・同大の切子碗が、江戸時代に大阪府羽曳野市の安閑天皇陵古墳から出土したと伝えられている(東京国立博物館蔵、重要文化財。文化財オンラインのガラス碗に画像があります)。本品をこれと同じ古墳時代の舶載品とみるか、8世紀の遣唐使の将来品と考えるか意見は分かれるが、最終的には珍財の1つとして東大寺大仏に奉献されたものと考えられている。なお、同種の切子碗は世界各地のコレクションに例をみるが、いずれも土中によるガラス表面の銀化が進んでおり、当初の輝きと透明度を保っているのは本品が唯一であるという。
でも安閑天皇陵古墳出土の円形切子も、幾つかに割れて継いであるが、透明なままみたいやけど。風化したガラス碗はこんな感じです。  そう言えば田上惠美子氏の作品には、透明ガラスを使っていても、曇りガラスのようになったものも多い。今回のハガキにも部分的に透明でない作品が使われている。このようなに風化したガラスを表しているのだろうか?
行きたいけど、奈良の学園前は遠いなあ・・・

「田上惠美子」氏ではなく「田上恵美子」氏のままですが、以下の記事も宜しく。
日本にも金層ガラス玉が-藤ノ木古墳の全貌展より
日本のガラス玉は
田上恵美子氏のすきとおるいのちと透明ガラス
透きとおるいのち 田上恵美子ガラス展は銀座で
田上恵美子氏とフェニキアの人頭玉・人面玉
アートボックストンボ玉とコアガラス田上恵美子展

※参考文献
「正倉院への道-天平の至宝」(1999年 米田雄介ほか 雄山閣)
「ガラス工芸-歴史と現在-展図録」(1999年 岡山オリエント美術館)

※参考サイト
文化財オンラインガラス碗