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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/08/30

アギア・ソフィア大聖堂モザイク1 創建時のオリジナルは

アギア・ソフィア大聖堂が現在のような大ドームのある建物としてユスティニアヌス帝が建てたのは537年のことだった。その年を創建時とすると、現在に至る1500年近い歳月には、何度も地震に見舞われ、イコノクラスム(聖像破壊運動、726-843)にも遭ったために、モザイク壁画が剝がれたり、修復されたりを繰り返してきた。
そんな中でも、創建時のものが残っていたりもする(それをオリジナルとする)。
『イスタンブールの大聖堂』は、ユスティニアヌスによる創建時聖堂はどのような壁画で飾られていたのだろうか。558年の地震の後修復されたドームには、中央にモザイクで十字架が描かれていたことはわかっている。
パウロスはドームのモザイクについてはかなり具体的に記述しているが、これ以外にモザイクについての言及はない。またプロコピウスは聖ソフィア大聖堂の建築自体についてはあれほどくわしく述べているにもかかわらず、聖堂内の壁画についてはまったくふれていない。
ここから、ユスティニアヌス帝時代の聖ソフィア大聖堂のモザイクは、このドームの十字架と、ヴォールトなどの装飾文様だけであったと考えられているという。
創建時は非常にシンプルなモザイクだったようだ。


内ナルテクス天井部にはオリジナルのモザイク壁画がよく残っていた。
交差ヴォールトを囲む文様帯と、中央の円い文様を囲んで交差部の畝を対角に走る帯文様は同じものだ。
中央の円い文様は十字架を2つ組み合わせたような文様の周囲に2段の鋸歯文が巡る。
文様帯は紺色で、緑の楕円を金で縁取ったものの間に、小さな十字架や金色の点などが並び、その両側には白い2段の鋸歯文や金色の点が並んでいる。どれも乱れることなく、正確に並んでいる。
4つに区画されたなかにはこの文様。銀地の8点星の中央に八弁花文、各角に樹木、外側の角にアカンサスの葉と蕾が交互に並ぶ。
交差ヴォールトの間の横断アーチには円と四角形のモティーフが交互に並ぶ。
円は八弁花文、その周囲に緑色の長方形と赤い十字の帯文様、外に赤い十字架が4つ。横断アーチの中央部の円は小さく表されている。
四角形は外に広がった十字架に緑の葉が付くが、見方を変えれば七宝繋文が外に向かって半円ずつ表されている。四角い枠は雷文繋ぎを簡略化したような文様帯で、各角に緑の十字架がついている。
円と四角形が交互に並んだ両側を先ほどの文様帯が囲む。
窓の周りには力強いアカンサスの葉が巡り、外側のアーチには八弁花文。
八弁花文の両側には植物文があるが、わかりにくいなあ。
内ナルテクスのモザイク装飾のもう一つの特徴は、文様帯にかならずついている赤い線だ。
それはリュネットの十字架の部分にもあった。
この赤い線が金地モザイクの周囲と、文様のある面を隔てる輪郭線のようなもので、これがあるのがオリジナルのものということになるのだろうか。


※参考文献
「イスタンブールの大聖堂」(浅野和生 2003年 中央公論新社)