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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/04/29

弥勒寺の弥勒仏三尊像は10世紀


姫路市夢前町寺というところに弥勒寺というお寺があり、その寺の仏像が平安中期のものらしいことを、いとうせいこうとみうらじゅんの「新見仏記」という番組で知った。
ただし見学できるのは、正月三が日の本堂ご開帳の時だけだという。

それで、初詣もしない私だが、数十年ぶりに初詣をすることとなった。
ナビを頼りに山間の道路を行くと、赤い幟が並んでいるのが見えたところで右折、その先はまだまだ続いていたが、車の多さで迷わずに来れたことがわかるほどだった。

小さな石橋を通って両側に塀と植え込み、そして初詣の幟の続く参道をいくと、
賑わいのある境内に、テントが前に張られた小さな本堂が。
同寺のリーフレットには、ふだんの本堂の姿があった。
その解説は、弥勒寺(みろくじ)は兵庫県姫路市夢前町寺にあり、天台宗に属し書写山円教寺の奥の院と呼ばれ円教寺と密接な関係におかれています。山号を通宝山(つうほうさん)と呼び、境内には山門、本堂、開山堂、鐘楼、庫裡、護法堂があります。
寺伝によると、長保2年(1000年)書写山開基の性空上人が隠せいされ草庵を営まれたのが始まりと言われています。
又、当時の花山法皇が性空上人の徳を慕い長保4年(1002年)に弥勒寺に御幸され播磨の国司、巨智宿祢延昌に命じて諸堂を建立させたとされていますという。
本堂は昭和25年に国の重要文化財に指定されました。現在の本堂は天授6年(1380年)備前、美作、播磨の三ヵ国守護、赤松義則が建立しましたという。

外からも見えるが、軒下には透彫の蟇股があった。
内側見ていると、外側の透彫と内側のものとは図柄が異なっている。

左右対称ではない草花
水流の中央に赤松家の家紋が組み合わされたものも。
小さな建物ながら、細かな装飾が施されている。

特に本堂内陣天井においては唐様模様で、重要文化財の建造物にふさわしく繊細華麗にして装飾の組方は立派であり、他に比べるものがないと推賞されていますという。
確かに、小組格折上格天井で、建物が小さいこともあって、折上部の曲線が目に付く。更に、朱塗だけでなく、黒漆が使われていることで、より豪華な印象を受ける。

お堂の中に入ると、中央に人の目の高さあたりに弥勒仏三尊像が安置されていた。

弥勒三尊像
弥勒仏は、榧(かや)の一木作りの坐像で、背面に背ぐりがほどこされ、内部の墨書銘に、長保元年(999年)の造立と記されています。
性空上人が仏師、安鎮に命じて刻ませたもので、左脇侍は大妙相(だいみょうそう)菩薩立像、右脇侍は法苑林(ほうおんりん)菩薩立像です。
三尊とも学術的価値の高い尊像とされていますという。
「見仏記」で弥勒寺の住職は、薬師寺の弥勒三尊像の脇侍名に倣って、そう呼んでいると言っていた。

弥勒仏は右手が施無畏印、左手が降魔印を結んでいるが、
リーフレットよりも古い小冊子では与願印になっている。

この違いについては、番組で弥勒寺の住職が、平成18年(2006)に、京都の国宝修理所に解体修理に出したら、「この手は後補ですね・・・ちょっと待って下さい。ひょっとすると下を向いているのではないですか」と言って、左手を上下逆に嵌め込むとすぽっと入ったと話していた。
江戸時代の補修で変えられたものを平成で戻したということらしい。

平安前期の塊量感はすでになくなり、何をしてその特徴と言えば良いのかわからないくらい、特徴がない。それが平安中期の仏像の特徴であるとある講座で聞いたことがある。強いて言えば、目鼻などが中央に寄っているくらいだろうか。
そう言えば平安時代の仏像は、貞観仏と呼ばれ、翻波式衣文や塊量感のある体軀ではっきりと時代がわかる。それが鑑真さんが日本にやってきた時に伝わった、当時最新流行だった盛唐期の造像様式であったことは、以前にまとめている。
それについてはこちら

両脇侍は高い帽子のような円筒形の宝冠を被っている。それぞれの外側の腕は膝に達するほど長い。
また住職は、右脇侍と弥勒は師匠、左脇侍は弟子が作ったと言っていた。
そう言われると、左脇侍(向かって右側)は肩幅に比べて顔が大きく、表情も異なっていて、首から腹部にかけての表現が平板だ。

番組では、三尊像を左側から眺めて、「畏れることとはない」と、三尊がそろって腕を挙げて(施無畏印)人々に向かう姿が良いと言っていた。
本堂から出て、左手にある坂道を歩いていると、開いた板戸の隙間から、右向きの三尊像を垣間見ることができた。正面から見るよりはふっくらとした体つきで、確かに三体とも施無畏印で腕を上げ、民衆を迎える姿はよかった。

人々の流れに従って坂道を行くと、鎌倉時代という性空上人の供養塔があったり、開山堂などの建物もあり、

そして、そのずっと向こうの広場には、善男善女の目的、七福神巡りの初詣の巨大な布袋さんが安置されているのだった。
番組では、住職が、お金を投げて布袋さんの胸のところにある赤い賽銭箱に入ると願いが叶うと言っていた。皆さんそれを願って賽銭を投げていたが、なかなか入らないようだった。
なんでも、日本一の布袋さんなのだとか。

正月三が日と11月3日のみのご開帳なので、11月3日に来た方が静かかも。
弥勒寺の所在地、夢前(ゆめさき)町寺の「寺」というのは、この弥勒寺に由来する地名なのだろう。

                     →弥勒寺の仏像は円教寺の仏像と同じ安鎮作

関連項目
平安中期の如来坐像

参考にしたもの
「夢前七福神第1番札所 通寶山彌勒寺」という小冊子
「書寫山の奥ノ院 播州・夢前 通宝山弥勒寺」というリーフレット
「日本の美術479 十世紀の彫刻」 伊東史朗 2006年 至文堂