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2013/08/13

古代ガラス展5 金箔ガラスとその製作法



古代ガラス展の一番の目当ては金箔ガラス碗とその復元品だった。この作品は10年前に『アレクサンドロス大王と東西文明の交流展図録』で見たことがある。
金箔入りガラス碗 プトレマイオス朝時代(前300-250年頃) エジプト、アレクサンドリア出土 ガラス・金 径20.0㎝高12.0㎝ 大英博蔵
『アレクサンドロス大王と東西文明の交流展図録』は、薄い金箔を複雑な植物文の形に切り抜き、それを二層からなる透明ガラスの間に挟みこむ技法は「サンドウィッチ・グラス」あるいは「ゴールド・グラス」と呼ばれ、前3世紀前半に生み出されたと思われる。現在までに16例が知られ、その多くがカノーサなどイタリア半島で見つかった。しかしそのどれもがアレクサンドリアの金属、テラコッタ、ファイアンス製の容器に非常に近い様式を示しているため、サンドウィッチ・グラスはアレクサンドリアの宮廷で製作されたのではないかと考えられているという。
この説明文から、一枚の平たい金箔を、この細かく複雑な文様に切り抜いて、半球形のガラスに貼りつけたものと思い込んでいた。平たいものを曲面に貼りつけているのに、皴ができないのは何故だろうと不思議に思っていた。
また、かなり以前のことになるが、岡山市立オリエント美術館で、ローマ・ガラス史家の藤井慈子氏の講演会で、岡山在住のガラス作家の方々と共に、あのゴールドサンドイッチ碗はどのようにして作られたのか、という話題で大いに盛り上がったことがあった。
10年で、このゴールドサンドイッチ碗についての考えがどのように変化したのだろう。

ゴールドアカンサス文碗 イタリア、プーリア州カノッサ墓出土 前250年頃 ガラス(ナトロン)、金 アンチモンによる消色 高11.4㎝径20.3㎝  大英博物館蔵
『古代ガラス色彩の饗宴展図録』は、口縁は外反し、口唇部内面に2条、外面に1条の沈線装飾が施される容器本体(内側容器)と、金箔を覆う半球形容器(外側容器)を別鋳し、金箔装飾後に加熱/熔着させたもの。鋳造による内側容器、外側容器とも約2㎜程度と薄く、高度な制作技術の存在をうかがわせる一方、熔着は不完全であり、ゴールドサンドイッチ技法初現期の様相を呈している。
内側容器外面に施される金箔装飾は我が国仏教美術で用いられる截金技法の祖ともいうべき技術で、細く切った金箔を貼付け、優美な渦巻文やアカンサス文を表しているという。
この図版は波頭文しか写っておらず、アカンサスなどありそうに見えない。
中でも、東京藝大の並木秀俊氏が截金技法でこの複雑な文様を再現していたことには、まさに目から鱗だった。
並木氏は同展図録で、このガラス碗は、2003年、東京国立博物館で開催された「アレクサンドロス大王と東西文明の交流」展での展示を機に、日本の伝統技法である「截金」の分野では広く知られる存在となった。
截金とは、主に金・銀を打ちのばした箔を、線状や三角、四角、菱形など様々な形に切り、膠を用いて貼ることで文様をあしらう日本の伝統技法である。日本においては、主に仏像・仏画の装飾技法として多用されてきたが、この碗の細い繊細な線で表現された植物文こそがまさに「截金」ものものであり、現在確認される截金作品の中では最古の作例であることを周知させたのである。 
中に施された截金は、ヘレニズム時代の文様装飾を彷彿とさせるもので、制作年代は紀元前3-前2世紀のものと推定されるという。
1枚の金箔を切り抜いたとばかり信じ込んでいたが、並木氏が截金で再現するビデオを見ていて、截金でなら曲面に皴を寄らせることなく貼りつけていけるのだと納得できた
遅くともヘレニズム時代には、截金という金箔を貼りつけて文様を表す技法があったのだ。
また、今回の特別展では、このガラス器の復元制作品が出品され、同時にその制作過程をビデオで流していて、非常に参考になった。

並木氏は、この碗の文様は、基部に描かれた8つの花弁をもつ1つのロゼット模様から発展しているという。
蓮の花弁が様式化された4弁が見られ、アカンサスの4葉の模様と交互に構成されているのだが、麦や花の細部が複雑に表現されており、それは花弁を埋め尽くし、溢れている。また、アカンサスの4葉の先端は交互に左右に配されているという。
波頭文まで届きそうな大きな花弁が蓮で、中には豆鞘形の枠の中にヤグルマギクのような花が縦に2つ配され、それが左右対称に表される。
小さい花弁には左右対称の鱗文様のようなもので表された豆鞘形の模様がある。その上方からアカンサスらしい、切れ込みのある葉が先を翻らせながら伸びている。
この点に関しては、復元作品の図版で確認できる。アカンサスの葉は波頭文の際まで伸びた後、先端は下を向いているのだが、それが同じ方向を向いていない。
蓮の花弁には、ヤグルマギクのような花の他に、麦も描かれている。
ウィキペディアには、ヤグルマギクは麦畑などに多いヨーロッパ原産の雑草とある。
もしその程度のものだったとしたら、麦畑の麦と雑草の花を、このような高度な技法を駆使してまでガラス碗に表すなどということをしたのだろうか。
並木氏は、ゴールドサンドイッチガラス碗に施された截金は、直線であったとしても短く少量であり、大量には切れないナイフのようなものが用いられていた可能性が高い。線の表現だけでなく、日本では見られない多角形の箔を駆使した文様が見受けられる点から、截金よりもむしろ截箔の技術に特化していることがわかった。
截金の再現
金箔の裁断は鉄製の小刀で行い、文様の主要となる太い線を最初に貼りつけていった。波文様が特に難易度が高く、描く際にはまず線を描き、その間を三角形の截箔で埋めるなどの工夫が必要だった。こうした高度な文様を描くには、日本の截金と同様、先が利く筆のようなものが必須であり、そうした技術も進んでいた可能性がうかがえた。装飾を終えたら片側のガラスを被せ、接着し完成させた。文様を施すだけでも数ヶ月を要し、本作品に費やされた当時の時間と労力や熱意を実感したという。
日本でも、截金で小さな円弧を綴るのは困難だったようで、とぎれとぎれの直線の連なりのようになっている。

東寺旧蔵十二天うち日天図 太治2年(1127)
並木氏は、当時の截金は面で構成された截箔に特化しており、裁断の精度を要求しないナイフなどを用いていた可能性が高く、日本の緻密な截金を効率的に行うための箔盤と竹刀は、アジアに入り確立されたこともうかがい知ることができた。また、本碗の生産地は金箔の加工技術にも長けた土地であり、ガラス制作と金箔装飾の場所は近い位置に存在し、共同作業で行われた可能性が高いことも推測できた。
ゴールドサンドイッチガラスの截金に、ヨーロッパと日本の共通点を見出せたのは、截金技法がヨーロッパからシルクロードなどの道を渡って中国へ伝播してきた可能性を示唆しており、ゴールドサンドイッチガラス碗こそが、截金の源流に最も近い作品である可能性はより濃くなったと言えるという。

MIHO MUSEUMで2007年に開催された「中国・山東省の仏像展」で北斉時代(550-557年)の仏像に截金が施されており、それが新発見ということだった。
それについてはこちら


『日本の美術373截金と彩色』に、六角車輪形の截金文様の淵源を遡ればアフガニスタンのジャラーラーバード近くのタペ・シャトール(ハッダの遺跡)から出土した仏像の断片(3世紀)の台座部分に置かれた截金文様に辿りつくという記述があるのを知った。
また、『仏像の系譜』は、アフガニスタン北部地方は、その昔、バクトリア王国を中心として栄え、隣のガンダーラと共に、ペルシア・アカイメネス王朝やマケドニアのアレクサンドロス軍、さらにはクシャーン王朝の洗礼を受けたところであった。ガンダーラ同様ギリシア系人種の住んだところとして、様式的にもガンダーラとよく似た仏教美術を残している。例えば、アフガニスタンでもガンダーラに最も近い遺跡であるハッダの仏像は、ガンダーラ様式としてガンダーラ美術の中で述べられることが多く、反面、ガンダーラ美術のモチーフを借りながら、また、インド美術の影響を受けながら、様式的にはアフガニスタン独自のものが見られるという。
それについてはこちら


アフガンの3世紀の仏像はまだ見付けられないが、アフガンに截金がもたらされたのは、現在のところ、ヘレニズム時代ということになるだろう。

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                →古代ガラス展6 金箔ガラス製メダイヨン

関連項目
メアンダー文を遡る
卍繋文の最古は?
アカンサス唐草の最古はエレクテイオン
アヒロピイトス聖堂の蓮華はロゼット文
金箔入りガラスの最古は鋳造ガラスの碗
截金の起源は中国ではなかった
中国・山東省の仏像展で新発見の截金は
東寺旧蔵十二天図5 截金4卍繋文
古代ガラス展3 レースガラス
古代ガラス展2 青いガラス
古代ガラス-色彩の饗宴-展はまさに色彩の饗宴だった
その他ガラス・ファイアンスに関するものは多数

※参考文献
「古代ガラス 色彩の饗宴展図録」 MIHO MUSEUM・岡山市立オリエント美術館編 2013年 MIHO MUSEUM
「アレクサンドロス大王と東西文明の交流展図録」 2003年 NHK
「日本の美術373 截金と彩色」 有賀祥隆 1997年 至文堂
「仏像の系譜-ガンダーラから日本まで-」 村田靖子 1995年 大日本絵画