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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2011/07/22

パンテオンのドームができるまで

ポンペイの遺跡には、スタビア浴場に前2世紀末の円錐形のドームがあった。
『世界美術大全集5古代地中海とローマ』は、浴場そのものは前4世紀までさかのぼり、現在のフリギダリウムはもともとラコニクム(一種のサウナ室)として前2世紀に造られたものである。外形は矩形であるが、その中に円形の部屋を造り、上にコンクリート(オプス・カエメンティキウム)造りの円錐形ドームがのる。
前80年頃にフリギダリウム(冷浴室)として現在みられるような形に改修された。部屋は6.52mの直径をもち、その円弧上に半ドームの架かった四つの半円壁龕が等間隔に置かれている。
円錐形のドームの傾斜は直径6.52mの球体がすっぽり収まるような角度にされていた。同じような円錐形のドームは前1世紀のポンペイのフォルム浴場やエルコラーノの浴場にも用いられた。コンクリートによる球状ドームが出現する以前のドーム建築の状況を示す好例であるという。
円錐形のドームは、持ち送りで薄いレンガを積んで行けばできると思っていたが、ドームには不揃いな石が並んでいた。いったいどのようにして積み上げたのだろう。
円弧状のドームの最も早い例の一つはローマのアグリッパ浴場(前27年)とみられるという。
その残骸がパンテオンへ向かうチェスタリ通から一瞬見えた。円筒形の建物だったことが想像できる遺構だが、半球状のドームが載っていたとは思いもしなかった。
壁体の断面が見えているものの、ローマン・コンクリートと骨材の見分けがつかない。
その後ドームが架かっていたとわかるのは、ドムス・トランジトリアである。
同書は、ヘレニズム建築の延長上にある古典的な建築が発展する一方で、新しい建築材料であるコンクリートによる建築が市民権を獲得し、その可塑性の特徴を活かしてこれまでにない新しい建築空間を創り出していった。それはネロ帝(在位 後54-66年)の宮殿であるドムス・トランジトリア(54-64年頃)とドムス・アウレア(64-68年頃)、歴代皇帝の宮殿となったドムス・アウグスターナ(ドミティアヌス帝時代)といった一連の皇帝の宮殿という第一線のモニュメント建築に初めてコンクリートを用いることでもたらされた。これまでコンクリートは基礎工事や建物の壁に用いられてきたが、モニュメント建築に適用された場合はほとんどなく、ドームの建築も浴場建築などに限定されていたという。

ドムス・トランジトリアでは、二つの半円ヴォールトの交差部にドームを架けた部屋を造り、その頂部の円形の天窓から採光されているという。
ドームの壁が、上に行くに従って薄くなっていて、重量の軽減が図られていたらしい。
2本のヴォールトの交差部は四角形になるが、四隅を曲面に切りとって平面を円形にし、ドームの重力をアーチで四隅に分散させてつくられている。6世紀に建立のコンスタンティノープルのアギア・ソフィア聖堂のドームから4本のピアへの移行部のようなペンデンティブが後1世紀にすでに行われていたとは。
この推定復元は、どのような根拠で行われたのだろう。
ところが、64年にローマの大火でドムス・トランジトリアは焼失してしまう。新たに建てられた宮殿がドムス・アウレアだ。

ドムス・アウレアの食堂は八角形平面を成し、その上に四つの半円ヴォールトが交差することによって造りだされたドームが架かっているという。
柱はレンガ積みのオプス・ラテリキウム、各部屋への出入口の上は楣石ではなく、薄いレンガで平たい楣状のものをつくっている。それはアーチをつくるように、中央のレンガは真下を向き、その両側から少しずつ上を開き気味にして並べ、落ちてこない工夫をしている。石材の入手が困難だったのだろうか。
各柱の上方に傾斜をつけて曲面をつくり、その上から半球ドームがのる。8つの曲面は全体に1つの曲面にならず、それぞれの両隣の曲面の境目が直線状に見える。そして半球状の曲面と境目の線の接合部に凹みができている。
ドムス・トランジトリアで半球状のドームが載せられたのに、ドムス・アウレアではこのように境界線や凹みができてしまったのは、八角形にこだわったからだろうか。
後80年の大火後にドミティアヌス帝(在位81-96)によってパラティヌス丘の上に再建されたドムス・アウグスターナでは軸線による平面計画がなされているが、ここでもコンクリートによって壁体が造られ、その上にドームやヴォールト天井が架けられていた。例えばバシリカの呼称をもつ部屋には格間のヴォールト天井が、ウェスティブルム(入口の間)の両脇の小部屋にはドーム天井が架けられていたという。
パラティーノの丘のドムス・アウグスターナは、すでに多くが失われていて、入口の間がどれかさえわからなかった。しかし、両脇の小部屋にドームがあったとしても、あまり大きなものではなかっただろう。 

トラヤヌス市場(後100-112年頃)は新しい建築造形と意匠に対する試みである。建築意匠上の大きな特徴はコンクリートの特性を活かしたヴォールト天井やドームを用い、多層にわたる店舗を造りだしていることである。煉瓦による仕上げと、大理石による建築オーダーをほとんど用いることなく半円形やヴォールト天井などの形態による力強さで全体をまとめあげている点に新たな建築の方向性を見出しているという。 
トラヤヌスの市場はフォリ・インペリアーリ通から眺めたに過ぎなかった。ドームどの辺りにあるのだろう。
後80年に焼失したパンテオンは、118-128年にハドリアヌス帝によって再建された。
パンテオンには完璧な半球状のドームが載る。詳しくはこちら
パンテオンの平面は円形であるため、ドムス・アウレアのような無理がない。

そしてドームには刳り形のある格間が縦にも横にも整然と並んでいる。

※参考文献
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」(1997年 小学館)
「イスラームのタイル」(監修山本正之 1992年 INAX BOOKLET)