龕楣(がんび)の装飾 龍門石窟古陽洞北壁第1層第3龕 北魏時代後半(493-498)
493年、北魏は平城から洛陽に都を遷し、その郊外に龍門石窟を開鑿した。古陽洞はその初期に開かれた石窟である。楣拱龕の拱額には鬼面(あるいは饕餮)と飛天(あるい化生童子)が交互に表され、それぞれの口や足から垂飾が出ている。法隆寺の天蓋と異なる点は、筒状のものに丸い点々があることだ。

龕楣の下に取り付け具があって、丸形と筒状のものが繋がってそこに通されている。

同じ第6窟には別の吊り下げ方をした垂飾があった。それは童子(あるいは化生童子)が上で垂飾を持っているというものだった。それに、垂飾は龍門石窟古陽洞の垂飾のように、丸いブツブツが表されている。
『雲崗石窟』 は、龕下沿刻童子双手携執花縄という表現をしている。これって「花綱をかつぐ童子」の中国版?

※参考文献
「龍門石窟展図録」(2001年 MIHO MUSEUM)
「雲崗石窟」(李治国・山西雲崗石窟文物研究所編・山崎淑子訳 1999年 人民中国出版社)