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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/03/15

法隆寺の回廊を歩く


法隆寺のしおりによると、中門と回廊は飛鳥時代の建立だ。回廊は山田寺と同じく円柱の間に2本の腰壁束で連子窓を支えている。西南の隅に中へ入るスロープがつけてある。入った先で拝観券を買うのだが、もう遅いから東院伽藍の拝観はできませんと言われ、西院伽藍と大宝蔵院の拝観となってしまった。連子1本1本が細く見えるのは光のせい? 中門の内側。風鐸は鳴らない。回廊の円柱と同じく胴張のある円柱は背が高いので、これくらいの距離から上部の雲斗や雲肘木と一緒に眺めていると、バオバブの木に似ていなくもない。
『国宝法隆寺展図録』によると、柱の胴張は後漢の四川省楽山岩窟墓や北斉の河北省定興の石柱に類例があるらしい。う~む、見てみたい! 中門の向こう正面に大講堂がある。山田寺の講堂は回廊の外にあったが、法隆寺では北回廊中央に講堂が入り込んでいる。写真に写っていないが両側が中門同様回廊になっている。変則的な伽藍配置だった当麻寺では金堂の北に講堂が進出していたなあ。
法隆寺のしおりによると、仏教の学問を研鑽したり、法要を行う使節として建立されましたが、鐘楼とともに延長3年(925)に落雷によって焼失しました。幸い正暦元年(990)には再建され、ご本尊の薬師三尊像及び四天王像もその時に作られているという。青銅製らしき燈籠が講堂の前にあった。
講堂を拝観したら西回廊を通って東南隅から西院伽藍を出ることになる。
確かに山田寺東回廊より出土した礎石は蓮弁が12枚彫られていたが、法隆寺のそれは四角い素っ気ないものだ。
しかし、虹梁上には叉首組をのせ、上の三斗組で棟木を受けるという山田寺の回廊と共通する点もある。 飛鳥資料館で山田寺東面回廊を復元展示してあり、内側を通ってみたが、出土物も内側に転じしてあったので、いまいち回廊の幅が実感できなかった。回廊の幅は法隆寺の回廊くらいあったのだろうか?

※参考文献
法隆寺のしおり
「国宝法隆寺展図録」(1994年 NHK)