ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2018/04/20
東洋陶磁美術館 乾山の向付は椿だった
以前に大阪市立東洋陶磁美術館のミュージアムショップで購入したハンカチ。地が緑色のと赤とがあったが、梅の花だと思ったので、赤い方にした。
「乾山」の銘の右に小さな鳥のような文様があるのを「乾山にはこんな印はない」という人がいた。これはハンカチを製作している工房のサインではないかな。
大阪市立東洋陶磁美術館の日本陶磁室では、乾山の向付が五客並んでいた。ハンカチのデザインのオリジナルである。
色絵 椿文 輪花向付 江戸時代・18世紀 尾形乾山(乾山焼)
説明は、仁清から陶法を学んだ尾形乾山(1663-1743)は、元禄12年(1699)洛西鳴滝に開窯しました。正徳3年(1712)、市中の二条丁子屋町に移ると、意匠性に優れた乾山のやきものは新興町人層の人気を得ました。文様と器形を椿花のモチーフで統一した乾山らしいセンス溢れる作品です。底部に見られる白化粧上に銹釉による「乾山」銘は、書体から三つのタイプに分けられ、こうした「乾山」銘が乾山工房のブランド名のようなものであったことをうかがわせますという。
何故か梅の花だと思って使っていたこの花の正体は、椿だった。よく見ると五弁でもなかった。
見込みには前中央の向付にだけ椿文が描かれているように見えるのだが、ほかの器にも描かれているのかどうか、背が低いのでこれ以上見えない。
花びら描かれた椿は八弁で、向付も八弁の切れ込みがある。
八弁の白花の椿。筒咲きの花を真上から見た斬新なデザイン。
探してみると、椿は種類が多く、五弁という少ないものさえもある。乾山がこの器を制作した時代には、今ほど椿の種類は多くはなかっただろう。
斜め上からのぞき込んで、見込に椿文が描かれているのは1客だけだとわかった。
説明パネルの写真で内側が判明。この1客だけ、中央に一つ、周囲に6つの椿を描いて七曜文になっている。
高台には「乾山」の大きなサイン。
緑色のハンカチもほしいとミュージアムショップで探したが、もう置いていなかった。
→乾山作の梅文は蓋物だった
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