ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2017/03/28
イスファハーン、マスジェデ・イマームのタイル
『ペルシア建築』は、装飾文様はすべて伝統的なもので、多産と豊穣に対する祈念をこめたイラン的なモティーフを繰り返す。建物の肌はほとんど余すところなくエナメル・タイル(施文多彩釉タイル)で被覆されている。抽象的で想像的な、かくも厖大な植物文様の展開は、多産豊穣な生命の永続に対する祈念とともに、花に寄せるペルシア人特有の詩的な情熱をも表わすものであろう。
17世紀という時代は必ずしもペルシア芸術の最盛期ではなかった。細部について見れば、マスジデ・シャーは、そのモデル、すなわち200年前に建てられたガウハル・シャードのモスクよりも、劣る点が少なくない。マスジデ・シャーの内部をくまなく覆っているエナメル・タイルは、それ以前の数世紀間にわたって使われてきた-また当のモスクの表門にも使われている-ファイアンス・モザイクに比べて、質が劣るのである。しかし、建築を総体として見る限り、その風格、悠揚せまらぬ安定感、イスラム精神の力強い確証といった点で、この大モスクに比肩し得るものは稀であろうという。
ガウハル・シャードはティムールの孫ウルグベクの母。墓廟はヘラートにあるようだが、その名を冠するモスクは所在地不明。
A:表門
同書は、大アーチの奥の壁面に注目すると、扉口の左右を飾る2つのパネルが礼拝用絨毯のデザインを模しており、モスクの本質的な使命を告げているかのようであるという。
指摘されると、確かに絨毯にありそうな柄である。
モザイクタイルだった。2色の蔓草が渦巻いていて、ウズベキスタンを思い起こさせるが、彼の地にペルシアのモザイクタイル職人が招聘されたということだったような。
『砂漠にもえたつ色彩展図録』で深見奈緒子氏は、シャーヒ・ズィンダーにイランで熟成した植物文のモザイクタイルが出現するのは1372年建立のシーリーン・ビカー・アガー廟が最初であるという。
それよりずっと後にも二重に渦巻く蔓草のモティーフは、ペルシアで続いていて、より蔓の細い繊細な文様となっていた。
その上のムカルナスは全体がモザイクタイルだった。
頂部は水色と柿色の交差する編み物のよう。
その下ではムカルナス一つ一つの異なった曲面が、モザイクによるタイル装飾で埋め尽くされている。どうやらそれぞれの文様は左右対称に同じものが置かれている。
ムカルナスを見上げて。
シリング・ベク・アガ廟のムカルナスよりも細かい。
東北イーワーンに立ち入ることができないのでD:右の側室へ。
部屋と部屋を繋ぐ通路は、下の方は絵付けタイルだが、尖頭アーチ部分はモザイクタイル。下の方は修復の時に絵付けタイルになったのかも。
そしてE:東北イーワーンを振り返る。
モザイクタイルではなく、絵付けタイルによる壁面装飾であることが、写真の下端に、四角形のタイルが並んでいることでわかる。
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、サファヴィー朝のイランでは、大きく分けてモザイク・タイル、クエルダ・セカ・タイル、そして釉下彩タイル(下絵付けタイル)の3種類のタイルが製作された。
モザイク・タイルは、手間がかかることから、サファヴィー朝においては、次第にクエルダ・セカ・タイルを多く使う壁面装飾が主流になった。
クエルダ・セカ・タイルとは、正方形のタイルを施釉するために、あらかじめ文様の描線を、様々な成分を含んだ顔料で描き、その後いくつかの色彩の釉薬で塗り分ける。こうすることによって、顔料がにじみ出して、混ざることを防ぐことができる。本来は、最初に描いた描線が、焼成中に蒸発して素地が現れるが、黒色の線として残存することが多かった。クエルダ・セカ・タイルは、モザイク・タイルと比べると、比較的短期間に建築の壁面を覆うことができたので、次第にモザイク・タイルに取って代わり、17世紀建造のイスファハーンの「イマーム・モスク」においては、大規模に使用されたという。
一定規格の様々な大きさと色のタイルを組み合わせた、これもモザイクタイル。
それは、主イーワーンのミナレット塔身を覆い尽くすアッラーなどの文字(読めないので正確ではありません)の構成と同じ。
J:北西礼拝室ドーム
頂部はトルコ石。その周りの白地部分はモザイクタイルかと思ったが、絵付けタイルで、よく見ると、文様が繋がっていない箇所がある。コバルトブルー地のタイルももちろん絵付け。
M:主礼拝室のドーム
そのタイルは部品一つ一つは大きいが、モザイクタイルだった。
ただ、アラビア(ペルシア)文字の帯は絵付けタイル。
主礼拝室の内部のドームは
頂部はトルコ石で、その周囲から絵付けタイル。
もちろんコバルトブルー地のタイルも絵付け。
明かり取り窓の透彫はモザイクタイル
ミフラーブの壁龕上部はほぼ絵付けタイル。
しかし、この窓形のパネルだけはモザイクタイル。
H:南西(主礼拝室)イーワーン
色の濃淡があるので、モザイクタイルかと思ったが、頂部も含めて絵付けタイル。
色の濃いものは補修タイルだろうか。それとも古い方が色濃く発色していたのだろうか。
アーチ・ネット状の縁飾りがモザイクではあるが。もちろん、絵付けタイルではあっても、茎の細い植物文は流麗に描き込まれ、それぞれの区画のある段ごとに文様が変えてある。
I:南東イーワーン
頂部は渦巻く黄色い蔓草がみごと。
頂部からコバルトブルーの蔓草が小さく渦巻き、その弧が次第に大きくなっていく。しかし、この黄色地に描かれた蔓は、あまり巧みに描かれているとは言い難い。というか、蔓が途中で途切れていたりする。イーワーン頂部の壁面は変則的なので、こんな風になってしまうのかも。
これまで見てきたタイル装飾にはなかったが、ここでは、赤い点々が文様に関係なく置かれている。タイルの継ぎ目に多いが、それだけでもなさそう。
たぶんこのイーワーンの飾り綱(花茎)。花瓶はなく、大理石の四角い台にのっている。これはモザイクタイル。
P:南東礼拝室ドームは下から眺めているだけでもタイルの目地がわかるほど。
頂点にいくほど文様は細かくなるが、文様は続いている。
→マスジェデ・シェイフ・ロトフォッラーのタイル
関連項目
マスジェデ・イマーム1
マスジェデ・イマーム2
ザンド朝とカージャール朝の絵付けタイル
※参考文献
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン展図録」 2001年 岡山市立オリエント美術館