ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2015/06/19
直交座標系と極座標系のムカルナス
シャーヒ・ズィンダ廟群の入口を入って夏用のモスクを過ぎて階段が始まる左側に2つのドームの廟(15世紀初)がある。
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、ウルグベク時代に、西階段の方角の2番目のチョルタックの下に、2つのドームの廟が建築された。伝説によると、この廟はアムール・チムールの乳母ウルジャ・イナガと彼女の娘ビビ・シネブのために建築されたという。
20世紀の中頃には、この廟は天文家のカジ・ザデ・ルミの廟の上に建てられたという仮説もあった。しかし、考古学の発掘データによれば、若い女性の遺骨が発掘されたそうである。これは伝説の通りである。この若い女性は、グルハナの下の土の棺に眠っているという。
同書は、ウルグベクの治世を1409-1449年としている。
大きな部屋の天井の四隅も、構造的というよりは装飾的といった方が良さそうなムカルナスとなっている。
ムカルナスは3面に分割してつくられているが、正方形から八角形へと移行するための四隅のスキンチの曲面を装飾している。
そして、続きの小さな間の天井はもっと装飾的なムカルナスが架かっていた。
ドームの中央部はアーチ・ネットのようなムカルナスのような。
その外側に12の凹みがムカルナスで作られ、その外側(というよりも実際には下部なのだが)には、輪っかのようなムカルナスの装飾帯が巡らせてある。
更に下部には、少し扁平な、小さな凹みと大きな凹みが、12個ずつまわっている。もちろんムカルナスで構成されている。
それらの下にもムカルナスが次々と増殖していくかのように、壁面まで配置されている。
四隅のスキンチには、小さなドーム状のものが配置される。
装飾的なムカルナスの粋は、何といっても14世紀後半につくられたアルハンブラ(アランブラ)宮殿の天井を飾ったものだろう。
『イスラーム建築の世界史』は、獅子の中庭に面する諸室には、小曲面化した優美なムカルナスが飾られる。14世紀はイスラーム世界一体にムカルナスが流行した時代だが、アンダルシアとマグリブではね最も小さな曲面が最も多数集結する特色がある。しかも各地で新たな極座標系が用いられていくのに、前時代の直交座標系の幾何学から抜け出さなかったのも地方色だという。
アランブラ宮殿のムカルナスが直交座標系ならば、この2つのドームの廟脇室のムカルナスもまた、直交座標系ということになるだろう。
脇室のムカルナスは、頂部から見ていったが、下から見ると水平な積み重ねである。
同書は、アンダルシアから中央アジア、擬似的なものを含めれば、インド洋から中国まで、広い地域でイスラームの表象となったのがムカルナスだ。材料や幾何学性、あるいは適用される場所などに地域色はあるものの、アーチによって区切られた小曲面を水平に並べ、それを垂直方向に積み重ねて、全体を凹面状の持ち送りにするもので、特異な様相ゆえにだれもがムカルナスだと認めることができる。複雑に入り組んだ曲面は、光を受けて移ろい、見る者を不思議な感覚へと誘う。13世紀後半以後、各地でムカルナス技法が進化を遂げる。
ペルシアでは、ムカルナスは煉瓦製や漆喰製で、従来は部品の数が有限な直交座標系に偏っていたという。
バグダード、宮殿回廊部のムカルナス アッバース朝(13世紀初頭) 煉瓦造
直交座標系のムカルナス。
同書は、それぞれの曲面にも浮彫を施すという。
同書は、14世紀に入ると極座標系が導入され、15世紀にはこれが主流となる。軀体とムカルナス面が離れ、軀体から吊り下げられるようになり、構造的に有利な極座標系へと移行したと推察され、その後ペルシアでは直交座標系はすたれ、極座標系が主流となる。この新しいムカルナスは13世紀前半のアナトリアやシリアでは、石造ムカルナスとしてすでに流布し、13世紀末になると、エジプトに導入される。注目すべきは、シリアやアナトリアの石造ムカルナスの幾何学特性をペルシアのムカルナスが受容し、変容していく双方向の流れであるという。
シェイフ・アブー・サーマッドのハーンカー入口脇のタイル イルハーン朝(1316年) イラン、ナタンズ
これが極座標系のムカルナス。
同書は、表面に凹凸があり、煉瓦色の地が残るのが特色という。
アラビア文字の帯だけが、複雑な形に刻んだ空色タイルを無釉レンガに嵌め込んだモザイク・タイルになっている。
一つ一つの部品としては三角形や正方形、長方形などといった単純な形のものを工夫して組み合わせ、積み上げていくとこのようになるのかな、という感想が正直なところ。
しかし、頂部の五点星の箇所によって、その下の4枚のムカルナスはすでに構造上の役割を果たしていないことがわかる。
また同書は、アナトリアの石造ムカルナスとして、アルメニア教会ガヴィット(ナルテクス、前廊)の天井部の図版を挙げているが、アルメニアのキリスト教会にムカルナスがあることの不思議は東トルコ旅行をまとめていて気付いていた。
それについてはこちら
同書は、十字軍の通り道となり、ビザンツ帝国との領土争いの地となったアナトリアには、ペルシアの技法が移植されただけではなく、独特の天井の技法がいくつか散見される。 ・・略・・ おそらく、ペルシアのドーム、あるいは地中海のリブなどの本来の形を未咀嚼のまま、あるいはそれらと土着要素との折衷に起源すると推測される。北東に隣り合うアルメニア建築にムカルナスが用いられるのも、13世紀前半のころであるという。
ムカルナスのドーム ガンジャザル、スルブ・ホヴァンネス修道院ガヴィットのエルディク 13世紀中期
極座標系のムカルナス。
『アルメニア共和国の建築と風土』は、ガヴィットのエルディクにはイスラーム建築の意匠であるムカルナスによる装飾がみられるという。
アニ遺跡のキャラバンサライ跡にも似たような石造の天井があった。セルジューク朝が1031年に建造した(同遺跡の説明板)ものという。
しかし、この極座標系のムカルナス天井は、部品の複雑さからみても、深見氏の説明からしても、後に改築されたものということになるだろう。
話はシャーヒ・ズィンダ廟群の2つのドームの廟にもどる。
脇室四壁のムカルナスも直交座標系と
横の段は、ムカルナスの形のために水平になっていないが、
下から見上げると、段々と狭めながら頂部の一点に集約していく積み上げ技法がよくわかる。
→装飾的なムカルナス
関連項目
スキンチ部分のムカルナスの発展
シャーヒ・ズィンダ廟群2 2つのドームの廟
ムカルナスとは
ムカルナスの起源
イスラームのムカルナスがアルメニア教会に
アニ遺跡 キャラバンサライの妙なドーム
※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「イスラーム建築の世界史 岩波セミナーブックスS11」 深見奈緒子 2013年 岩波書店
「アルメニア共和国の建築と風土」篠野志郎 2007年 彩流社