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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/12/03

ギリシア神殿10 ギリシアの奉納品、鼎と大鍋



『DELPHI ARCHAEOLOGICAL MUSEUM』は、最初期の最も多い奉納物は青銅製鼎であるというように、ギリシアでは鼎を神殿に奉納することが古くから行われていた。

幾何学様式時代

鼎 オリンピア出土 前9世紀 オリンピア考古博物館蔵
把手は垂直に取り付けられているが、大鍋の大きさに見合った大きさ。
脚は先細りで長さもバランスがとれている。リベットで取り付けられていたようだ。
これなら調理に使うこともできただろうが、元々奉納品としてつくられたものかも。

鼎 オリンピア出土
脚が非常に長くなっている。薄い脚は上も下も幅は同じくらい。手前の脚を取り付けた箇所の左隣に、把手を固定するための穴が3つ認められる。
調理などの実用品とは思われない。奉納品としてつくられたのだろう。
オリンピア考古博物館に掲示されていた幾何学様式時代の鼎の想像復元図
こちらは全く口がすぼまっていないが、三脚で支えられているのでやはり鼎。
2つの垂直に取り付けられた円形の把手には、頂部には馬などの動物の小像が頂部にのるのが一般的だったようだ。人物が両側から把手を支えるような姿勢で取り付けられるのは、おそらく把手の補強という役目があったのだろう。
しかし、補強されていたとしても、この垂直の把手が鼎の持ち運びに使われたかどうかは疑問だ。本来は把手として作られたものが、段々装飾部品となっていったのではないだろうか。
デルフィ考古博物館には鼎の形になっているものはほとんどなかった。

想像復元図 デルフィ、アポロンの神域出土 
鼎は脚の長い、口かややすぼまり、3本の長い脚がつく。把手はやはり垂直に取り付けられ、はずれないように舌状の金具で補強されている。

東方化様式時代
グリフィンやライオンの頭部が付いた奇怪なものになる。


大鍋 オリンピア出土 前670年頃 オリンピア考古博物館蔵
『OLYMPIA』は、東方の原型を受け継いだライオン頭部、グリフィン、セイレーンが周囲を巡るという。
幾何学様式では垂直の把手だったのが、背中に鐶付きのついたセイレンとなる。
下の円錐状の台はこの大鍋に付いていたものではないが、想像復元図でも、三脚ではなく、円錐状の台が取り付けられていたことになっている。


大鍋 デルフィ出土 デルフィ考古博物館蔵
口縁周辺に突起物が取り付けられた痕跡はないが、背後の想像復元図ではそのようになっている。
その想像復元図
外側を向いた3つのグリフィン頭部と内側を向いた3つのライオン頭部、そしてセイレン型の鐶付が付いてにぎやかになる。
DELPHI ARCHAEOLOGICAL MUSEUM』は、東方様式の奉献品は、新たな鼎のタイプ、おそらく北シリア地域を起源とするものに取って代わった。鎚打ちの大鍋は持ち運ぶことができ、縦溝飾りのある三本の脚に支えられた輪っかに載せた。縁の周りは、牡牛、ライオン、そしてもっとよくあるグリフィンやセイレンのような想像上の動物で飾ったという。
把手を垂直に立てることもなくなり、長い脚を取り付けることもなくなって、三脚の輪っかにのせるようになったようになったようだ。

似たような大鍋はエトルリアでも見られる。

兵士と動物のレベス 前7世紀 イタリア、パレストリーナ、ベルナルディーニの墓出土 銀、鍍金 ローマ、ヴィッラ・ジュリア国立博物館蔵
『世界美術大全集5古代地中海とローマ』は、外面は上下3段に分割されており、下段は戦車に乗る人物と楯や槍を持つ兵士の行進、中段は騎馬人物と武器を持つ兵士の行進、上段は水鳥が並んでいる。いずれもエジプトのモティーフを手本としているが、細部に曖昧なところがあり、エジプト人の手によるものではないことは確かである。事実、パレストリーナ出土の他の1点にはフェニキア文字でかつての所有者の名前が刻まれている。
銀製の本体に鍍金を施したこの容器がレベスと称されるのは、口縁近くから蛇を模した6本の突起があるためで、宗教儀式における大釜としてギリシアやエトルリアで用いられたという。
こちらは外側を向いた6匹の蛇が口縁部を飾っている。エトルリアでも宗教儀式にこのような大鍋が使われたらしい。
ライオンやグリフィンではなく、蛇になっているのは、フェニキア人の好みだろうか。
デルフィの大鍋も、グリフィンとライオンの頭部が3つずつ、合計6つの突起があるという点で共通している。また、宗教儀式に用いられる祭器であることも同じだ。

ところが、エトルリアでは5つの突起の大釜がある。

動物頭部の口縁装飾付き大釜 前7世紀半ば イタリア、チェルヴェテリ、レゴーニ・ガラッシの墓出土 ブロンズ 高さ41直径38 ヴァティカーノ美術館蔵
はっきりとはわからないが、有翼の動物が胴部を半時計回りに並び、その上にライオンのような動物の頭部が5つ内側を向いて取り付けられている。
これは別の国から請来された大釜(釜と鍋の違いは?)ということになるのだろうか。 

そして、不思議なことに、クラシック様式時代になると、また幾何学様式の鼎が復活したようだ。

コイン 前420-290年 デルフィ出土
『DELPHI』は、の広がった大鍋に獣足のある三本の脚が取り付けられている。面白いことに、垂直の把手も3つある。
東方化様式時代に垂直の把手が失われて、脚の数と同じ3つにしたのかな。
鼎からは何が垂下しているのだろう。 
鼎 想像復元図 前479年頃 
同書は、前479年プラタイアの戦いでペルシア人に勝ったギリシア連合軍がその10分の1税として奉納した戦勝記念物。連合軍の各ポリス名を刻んだ3匹の青銅の蛇体がよじれてできた円柱の頂上に黄金のデルフォイの聖三脚鼎を載せていたという。
あまりにも省略されたこの復元図から想像すると、クロトン人のコインに表された鼎と同じ、長い三脚は獣足になっていて、垂直の3つの把手がついている。
やはり、幾何学様式時代の鼎を真似た形だ。
3人の踊り子の円柱台座 想像復元図 前335-325年頃 11m(台座共で12.50m)
同書は、アテネ人がペンテリコン産大理石で造った。柱頭同様、植物の茎を模した円柱の台座は、下向きに彫り出したアカンサスの葉を放射している。頂部は高浮彫の3人の踊り子が掲げられる。アカンサスの葉に載った三脚の鼎を踊り子たちのポロス帽で支えているという。
踊り子像の上に載り、オンファロスを乗せていた鼎は、やはり幾何学様式時代の鼎を元にしてつくられたと考えられているらしい。脚の長い鼎は、脚と脚の間に3つの垂直の把手をつけ、それを下側と斜め方向から支えている。

3匹の蛇の上に載る鼎や、3人の踊り子像の上にのる鼎は、想像復元したものだが、クロトン人のコインは、当時の実物の鼎を元に表されているはずで、垂直の把手が3つある妙なものだが、その原型を幾何学様式時代の鼎に求めているのは明らかだ。
実物を見てみたいものだなあ。

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                    →ギリシア神殿11 格間天井に刳り形

関連項目
ギリシアとヘレニズムの獣足
デルフィ6 アポロンの神域5 青銅蛇の柱に載っていたのは鼎 
オリンピア考古博物館3 青銅の鼎と鍑(ふく)

※参考文献
「OLYMPIA THE ARCHAEOLOGICAL SITE AND THE MUSEUMS」 OLYMPIA VIKATOU 2006年 EKDOTIKE ATHENON
「DELPHI ARCHAEOLOGICAL MUSEUM」 DIANA ZAFIROPOULOU 2012年 ATHENS
「DELPHI」 ELENI AIMATIDOU-ARGYRIOU 2003年 SPYROS MELETZIS
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」 青柳正規編集 1997年 小学館