迦陵頻伽は敦煌莫高窟ではどのように描かれていたのだろう。
敦煌莫高窟で西魏以前の窟で迦陵頻伽を見た記憶がない。迦陵頻伽は飛天のようにたくさん描かれるものでもない。
『日本の美術481人面をもつ鳥』は、古代のインド人は鳥のもつ美しい姿や心地よい鳴き声の象徴を自ら空想し求めようとした。そして生み出されたのが迦陵頻伽である。
迦陵頻伽は上半身が人、下半身が鳥からなる想像上の鳥である。スズメまたはその類で、一説にはインドでブルブルとよばれる鳥であるともいう。ただしその図像は細長い脚や尾羽をもつ水鳥に近い場合が多い。
サンスクリット語kalavinkaを音訳した「迦陵頻伽」は、鳩摩羅什が402年に漢訳した『阿弥陀経』、406年に漢訳した『妙法蓮華経』巻第六法師功徳品第19などに見出される。
かの国には常に、種々の奇妙なる雑色の鳥あり。白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥なり。このもろもろの鳥、昼夜6時に和雑音を出す。その音は、五根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢す。その土の衆生は、この音を聞きおわりて、みな、ことごとく仏を念じ、法を念じ、僧を念ず。このように402年に鳩摩羅什が漢訳した『阿弥陀経』は、白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥など6羽の鳥をあげる。ちなみに650年に玄奘が漢訳した『称讃浄土仏接受経』(高楠、1925、大正蔵12、367)は、鳥10羽の名をあげ、「共命鳥」をその別称「命命鳥」と表記する。
インドにおける迦陵頻伽の図像は現存していない。
中国における迦陵頻伽の概念の受容は、5世紀初頭頃、鳩摩羅什など西域出身の僧侶による訳経活動を通じて始まり、その図像の受容も遅くとも初唐すなわち7世紀前半には始まっていたと見られるという。
いったいどの窟を見学していた時のことだったのだろう、敦煌研究院の王さんが「あれが迦陵頻伽です」と言ったのは。
阿弥陀浄土経変図中 220窟南壁 唐・貞観16年(642)
南壁全面が阿弥陀浄土経変になっている。
『世界美術大全集東洋編4隋・唐』は、北壁最下部、および東壁門上から「貞観16年」の紀年銘が発見された。
阿弥陀浄土変は、大観的な構図の浄土変である。蓮地の阿弥陀三尊を中心に、多くの聖衆が囲繞し、また飛天や化仏が空に舞い、手前の舞楽殿には菩薩が胡旋舞を舞い、楽を奏する。阿弥陀は坐像で、脇侍菩薩としては傍らに立つ菩薩とやや離れて蓮台に座る菩薩とがある。蓮池には阿弥陀の極楽浄土に往生した化生童子が描かれ、傍らにおそらく「上品上生」から「下品下生」までの九品の銘札が記入させていたのであろう。阿弥陀や菩薩の肉身などは、十分当初の色合いをとどめているものがある。肉身には変色せずに白い肉身と白肉色で赤く強い暈取りをもつものと、さらに変色が強く、ほとんど紫褐色になっているものとがある。肉体の表現は爽やかな身動きと軽快な筆致、彩色で描かれている。薄物の裳をつけ、脚が透けて見え、また天衣や飛雲の流れるような躍動感ある表現は、これまでにはまったくなかった様式といってよい。天蓋や蓮台の唐草文や着衣の文様には新しい初唐時代の清新な趣があるという。
迦陵頻伽は中央の阿弥陀三尊の勢至菩薩の左肩からさほど遠くない位置に、1羽だけ見付けることができた。
楼閣の欄干に留まっている。
地の色に紛れているが、笙を持っているようだ。
羽根は丸く小さく、尾羽は赤い水玉の反物のように柔らかく折れている(下図は途中までしか入っていない)。
頭光はない。
虚空を飛んでいる、あるいは浮かんでいる状態。
左利きの迦陵頻伽が琵琶を弾いている。
羽根は鳥らしく描かれるが、尾羽はよくわからない。
頭光はない。
阿弥陀浄土経変図中 372窟南壁 初唐(618~712)
水面に浮かんでいるよう。
何かを物というよりも、羽根が濡れないようにたくし上げているように見える。尾羽は短く3色で表されている。
頭光はある。
同上
幽かに脚が見える。
琵琶を弾いている。
尾羽は上に長く伸びている。
頭光あり。
45窟北壁 観無量寿経変-盛唐(8世紀前半)
『世界美術大全集東洋編4隋・唐』は、『観無量寿経』によって描かれたこの観経変とは、中央に阿弥陀仏をはじめ、観音、勢至などの諸菩薩のいる西方浄土の情景と向かって右側に序分の阿闍世王の物語である未生怨因縁譚、左側に韋提希夫人の観想の方法である十六観を描いた内容である。このような3つの部分からなる構図は、もっとも典型的な観経変であるという(大きく見えるように中央の西方浄土の部分以外はカット)。
十六観についてはこちら
中央の阿弥陀及び諸菩薩のいる舞台前方両端に、迦陵頻伽がいる。
左の迦陵頻伽は笙を吹いている。
尾羽は下に垂れている
頭光はない。
右の迦陵頻伽は合掌しているように見えるが、手にはバツ(金偏に跋の旁-小さなシンバル)を持っているのではないだろうか。
観無量寿経変中 148窟東壁南側 盛唐(712~781)
東壁、甬道の右側に観無量寿経変は表されている。
中央段左右の楼閣から出た舞台に、それぞれ三尊が描かれている。その左側の図。
その阿弥陀の足元で迦陵頻伽は琵琶を弾いている。
尾羽は見えない。
頭光はない。
同上
最下段には両端にそれぞれ舞台があり、仏及び聖衆たちがいる。その左図。
仏に捧げられた香炉の前に迦陵頻伽はいる。
横笛を吹いているらしい。
スズメのような体に、巻き上がった尾羽がある。
頭光はない。
同じ舞台右上には共命鳥が琵琶を弾いている。
『日本の美術481人面をもつ鳥』は、共命鳥(ぐみょうちょう)は上半身が人、下半身が鳥からなり、しかも頭を二つ持った想像上の動物である。雉または鷓鴣(しゃこ)の一種とされる。その名は、本来、鳴き声に由来するとも、jivaが命を意味することからjivajivaは一身双頭の神秘的な鳥であるとも考えられるようになったという。
共命鳥の左の欄干には白い鳥が一対留まっている。鸚鵡だろうか。
ここには『阿弥陀経』に記された6種類の鳥、白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥のうち、3種が描かれている。
二羽の迦陵頻伽がいて、それぞれ楽器を持っている。左の迦陵頻伽は琵琶、右の迦陵頻伽は笙を奏でている。
観無量寿経変中 172窟南壁西側 盛唐(712~781)
見える限りでは4羽の迦陵頻伽が確認できた。
小さくて何を持っているのかわからない。
上図右端の迦陵頻伽
仏菩薩のいる楼閣への階段で笙を奏でている。同様に、他の迦陵頻伽も楽器を演奏しているのだろう。
横向きに描かれているので、スズメのように羽根を閉じ、長い尾羽をあげる様子がよく描かれている(本のとじ目にある尾は取り込む時にぼやけてしまった)。
頭光はない。
敦煌莫高窟では、阿弥陀経変が描かれるようになったと同時に迦陵頻伽も登場した。
そして、時代が下がるにつれて迦陵頻伽の数が増えていくのだった。
関連項目
迦陵頻伽の最初期のもの?
涅槃図に迦陵頻伽
日本の迦陵頻伽
第64回正倉院展8 螺鈿紫檀琵琶に迦陵頻伽
観無量寿経変と九品来迎図
当麻曼荼羅原本は綴織
※参考文献
「日本の美術481 人面をもつ鳥 迦陵頻伽の世界」 勝木言一郎 2006年 至文堂
「中国石窟 敦煌莫高窟3」 敦煌文物研究所 1987年 文物出版社
「中国石窟 敦煌莫高窟4」 敦煌文物研究所 1999年 文物出版社
「世界美術大全集東洋編4 隋・唐」 百橋明穂・中野徹 1997年 小学館