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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/11/20

第64回正倉院展5 今年は怪獣が多い



今年の正倉院展は妙な生き物の表現が多かった

1 怪魚の頭部と胴を持つ鳥

密陀彩絵箱 みつださいえのはこ 中倉
縦30.0横45.0高21.4
『第64回正倉院展目録』は、献物用の箱。長方形、印籠蓋造で床脚が付く。箱組は4枚組接(くみつぎ)で釘を用いて各材を打ち付け、その上から厚さ0.2㎝、幅0.9㎝の薄板を貼り付けて押縁(おしぶち)を形成する。
黒漆塗の上に描かれた彩色文様は、膠で固着させた顔料の上から密陀僧(一酸化鉛)を混ぜた油を塗っている。彩色顔料については、赤色が鉛丹、黄白色が石黄と比定されているという。
目録の末尾には用語解説があり、そこに石黄 硫化砒素を主成分とする鉱物。黄色で樹脂光沢を有し、有毒である。雄黄ともいうとある。
『絲繡の道2敦煌砂漠の大画廊』に顔料として載っていた石黄は硫化砒素だったのか。
蓋表中央の貼り紙の下には蓮の実が描かれていることがX線透過撮影によって判明している。その周囲に忍冬(パルメット)唐草文、その外周に怪魚の頭と胴をもつ鳥と鳳凰が2羽ずつ回旋し、さらに四周に忍冬文がめぐるなど古様な文様が施される。時計回りに統一されたモチーフの方向性や4羽の駆けるような形の細長い足が、旋回する文様の速度感をうみ、鳳凰らの湾曲した姿や怪魚の大きく反らせて開けた口は忍冬唐草文の曲線と呼応して、渦のような運動感を表しているという。
確かに渦を巻く空気の気配を感じさせる描き方で、文様帯として型にはまった表現をされることの多いパルメット文でさえ、炎のように燃え立ち、更に駆ける鳥たちの風に巻き込まれているかのようだ。このような動的な表現は、正倉院宝物では珍しい。特に記載がないので日本で作られたものらしい。
また、この箱のパルメット文は蓮の葉を伴った唐草文となったり、中央では楕円形の蓮の実を取り囲んで反時計回りに捻れるなど、仏教美術の蓮というモティーフが入り込んでいる。
この鳥は怪魚の頭と胴を持つというが、怪魚に鳥の翼と足がついたものとも言える。
口から気を吐いて鳳凰を追いかけているようだ。
このような足や羽根はなかったと思うが、仏教ではマカラ(摩伽羅魚摩竭魚)という怪魚がいたような気がする。
身側面は、忍冬唐草文と怪魚の頭部が規則的に並び、律動感と秩序が並存する。床脚にも蕨手状の草文が配されるという。
上側の唐草文のうねりが伸びやかで素晴らしい。蓋の唐草文には蓮のような葉があったが、ここでは対生の葉から茎や花柄が出ていて、蓮ではなかった。
怪魚の頭部や気炎の先をパルメットで表すなど、パルメットが文様から脱して面白い。
赤い歯茎から鋭い歯が1本ずつ出ているところなど、妙にリアルな印象を受ける。
口から吐いているのは気炎というよりも火焔のようで、ますます怪獣度が高まっている。
これがどこで作られたか明記されていない。その場合は日本で作られたということのようだが、この怪魚が日本人の発想で生まれたものと思えない。きっと伝来した品物にこのような魚が描かれていたのだろう。

池から怪魚が顔を出した図柄なら唐時代の銀器にあった。

鍍金龍池鴛鴦双魚文銀洗 ときんりゅうちえんおうそうぎょもんぎんせん 唐時代(7世紀) 銀、鍍金 高5.2口径14.5 白鶴美術館蔵 重文
『三蔵法師の道展図録』は、口縁の力強い反りな応ずるかのように圏台が裾広がりに作られた唐代金銀器を代表する碗形の器。内底には龍頭を中心に鴛鴦・鯰・鱗のはっきりした双魚等が泳ぐ霊池様を半肉彫り風に鎚起した鍍金銀板を接合するという。
怪魚かと思ったら龍だった。怪魚はマカラではなかったのか。

2 一角で馬頭と脚に蹄を持つ鳥、すなわち飛廉

紅牙撥鏤撥 こうげばちるのばち 北倉
長20.0最大幅5.7厚0.1-0.4
『第64回正倉院展目録』は、この品は象牙を撥形に成形し、全体を紅色に染めて文様を刃物で彫る撥鏤技法が用いられている。この技法は象牙を染料で染めた場合奧にまで浸透しない性質を用いたもので、彫り口は象牙の白い色を表す。本品は彫刻後要所に緑青と黄を点じている。文様は、一方の面では上部に草花に囲まれた麒麟を表し、中ほどから下端にかけては山岳、綬帯や瓔珞を銜えた鳥、草花、蝶、花台に乗る鴛鴦を表し、もう一方の面では一角の馬の頭と脚に蹄を持つ鳥を花台上に表し、それより下には綬帯を銜えた鴛鴦と鳥、蝶、草花、飛鳥を表しているという。
右上の麒麟は一角で翼を持つ馬のようだ。唐の順陵にあった天禄に似ている。 
一方、左上の鳥も一角で頭部は馬のようだ。
本品には一角の馬頭と脚に蹄を持つ鳥という珍しい意匠が表されているが、類例は中国西安市の何家村出土の六花形銀器(唐時代・8世紀)などに見ることができる。本品における意匠は麒麟や含綬鳥などの瑞祥的な性格のものであり、この鳥も瑞鳥の一種であったと考えることができるという。
会場ではやや斜めに展示されていたので、麒麟の描かれた表側を見せる工夫をしていたので、裏側は非常に見難かった。近くの壁に貼られた拡大写真で、やっとただの鳥ではないことが確認出来たが、薄暗かったので、角はわからなかった。
図録には白黒だが大きな図版があって細部までよくわかる。立派な角だけでなく、房々したたてがみもある。翼の先が渦巻いているのは、他の鳥には見られない特徴でだ。
そして脚には双翅と呼ばれる房毛も備わっていて、それは聖獣らしさを特徴づけている(『大唐皇帝陵展図録』より)ものらしい。
何家村出土の六花形銀器?余談だが何家村というのは「何」という姓の人々の住む村ということだろう。「何」は中央アジアのオアシス都市クシャーニヤ出身のソグド人が名乗った昭武姓(『文明の道3陸と海のシルクロード』より)ではないだろうか。
何家村出土の金属器は名品ぞろいだ。
『中国★美の十字路展図録』で何家村出土の六花形銀器を見つけ出したが、それは飛廉だった。飛廉は有翼の一角獣だと思っていたので、一角で馬頭と脚に蹄を持つ鳥と同じものだとは図版を見るまでは気づかなかった

飛廉文銀盤 銀に鍍金 唐(618-907)、8世紀初期 1970年陝西省西安市何家村出土 陝西歴史博物館蔵  
高1.2㎝口径15.3㎝
同展図録は、飛廉とは、中国の神話伝説に登場する獣頭鳥身の神獣であり、ここでは翼を広げて天空を舞う一角獣の姿によって表現されている。何家村からは、中央に動物を配した六弁形の盤が本作品を含めて3点出土しているが、ササン朝やソグドの銀器にも中央に動物文を施した作例が多数認められることから、外来の装飾法を中国の器物に応用したことが窺われるという。
角や翼の先など、細部の表現は異なるが、脚には双翅も備わり、紅牙撥縷撥の「一角の馬頭と脚に蹄を持つ鳥」が翼を広げたら、きっとこんな姿になりそうだ。

3 巻貝形蔓草状の気炎を吐く怪獣

瑠璃坏の台脚裾
あの瑠璃坏に取り付けられた脚部である。
脚は甲盛のある円板(以後、台脚裾と称する)に軸を立て、その上に坏を載せている。台脚裾と軸は一体である。台脚裾の上面は外周に沿って1本の輪郭線を引き、その内側に魚々子地に唐草文様を毛彫している。唐草文様は一部が怪獣の頭を表しているが、その向かいに怪獣の頭を感じさせる形が見えるほか、巻貝状を呈した特徴のある蔓を見ることができる。唐草文様には短い刻線を並列させた文様が随所に見えるという。
また、図録の「宝物寸描」で、「金工から見た瑠璃坏」は、坏身の底には蓮弁形の受金具が付き、長足の台脚が固着されている。台脚の裾には、粗い魚々子地に、気を吐きとぐろを巻く龍様の文様が刻まれている。
台脚裾には二つの唐草文が表されており、それぞれの右端と中ほどに巻貝形の蔓文様が見える。それは二重もしくは三重に巻いた蔓の先に火焔形に揺らめく先端部を表したもので、蔓には短い刻線を並列した文様が見えるという。 
最初は怪獣の尾が巻貝のように渦巻いているように見えたが、よく見ると怪獣は頭部だけが表され、首に巻きついた尾で輪っかとなっている。巻貝形の蔓文は、その怪獣の口から吐き出された気炎あるいは火焔だろう。
金銅製舎利外壺 韓国・弥勒寺西九重石塔発見 
2009年に韓国・益山市の弥勒寺跡西九重石塔から舎利荘厳具が発見され、そのうちの金銅製舎利外壺にきわめて近似した文様を見ることができる。この壺では胴部の肩に2本の文様帯を作り、下方の幅広の文様帯では巻貝状の蔓文様を表す唐草文を巡らし、上方の狭い文様帯では通常のパルメット文と両側が巻貝形の蔓文様を呈したパルメット文を交互に並べている。巻貝形の蔓文様は下方帯では三重、上方帯では二重に巻き、先端は火焔形に揺らめき、蔓に短い線刻文を並列させるなど、瑠璃坏の文様との近似性は一見して明らかであろうという。
ここには怪獣は描かれていないが、確かに巻貝形の唐草文様はよく似ている。
巻貝形の蔓文様は宝庫の鳥獣花背方鏡(南倉70-10)など唐代の海獣葡萄鏡にも僅かながら見ることができ、おそらく葡萄唐草文における蔓文様が始まりであったと推定されるが、管見の範囲において瑠璃坏のそれと最も近い造形を見せるものは弥勒寺跡発見の金銅製舎利外壺である。
弥勒寺跡西九重塔の舎利荘厳具には金製舎利奉安記があり、639年に舎利を奉迎したことが見えることから、金製舎利外壺もそれに合わせて製作されたと考えることができる。
植物文の形が徐々に怪獣の姿を呈するに至ったと考えた方が良いであろうという。
蔓文様から怪獣の胴体になったようで、怪獣の大きく開いた口から出ているのは気炎ではなかったようだ。
百済の美術には、東野氏が例に挙げた武寧王陵出土の銀製蓋付鋺のほかに、旋回する飛雲文が鳳凰へと姿を変える様を表した磚(韓国・扶余外里遺跡出土、6-7世紀)や、左右からの飛雲文が繋がり鳳凰の翼を表した磚(同)など、植物文や雲文などが動物や鳥へと姿を変える意匠を見ることができる。瑠璃坏の唐草文に表された怪獣も、百済におけるこのような文様表現の一つと考えることができようという。
この小考は、結果的に東野氏の推測を補強することとなったという。
それは、東野治之氏が『正倉院』(岩波新書、昭和63年)で韓国の松林寺五層磚塔から瑠璃坏ときわめて近い器形とガラスの輪形装飾を有する緑ガラス器を安置した金銅製舎利容器が発見されていることから、瑠璃坏が朝鮮半島経由でわが国にもたらされた可能性を指摘していることである。
金銅製舎利容器についてはこちら
正倉院宝物というと、唐から、あるいは唐を経てもたらされたもの、そして近年の調査からそれらを手本に日本で製作されたものという概念が固定されてしまっていた。他にも韓半島から請来されたものもあるかも知れない。

関連項目
第64回正倉院展7 疎らな魚々子
第64回正倉院展6 密陀彩絵箱の怪魚はマカラ?
敦煌莫高窟4 暈繝の変遷1
唐の順陵1 麒麟ではなく天禄
中国の一角獣の起源?
えっ、これが麒麟?
地上の鎮墓獣は
飛廉は花の名にも
敦煌でソグド人の末裔に出会った
第64回正倉院展1 瑠璃坏の輪っか

※参考文献
「第64回正倉院展目録」 奈良国立博物館 2012年 財団法人仏教美術協会
「シルクロード 絲繡の道2 敦煌 砂漠の大画廊」 井上靖・NHK取材班 1980年 日本放送協会
「中国 美の十字路展図録」 2005年 大広
「平城遷都1300年記念春季特別展 大唐皇帝陵展図録」 2010年 橿原考古学研究所附属博物館
NHKスペシャル「文明の道3 陸と海のシルクロード」 NHK「文明の道」プロジェクト 2003年 日本放送協会
「四大文明 中国文明展図録」 2000年 NHK