トラディティオ・レーギス、ガラス杯底部 4世紀末 金彩ガラス 直径7.7㎝ ヴァティカン図書館蔵
『世界美術大全集7西欧初期中世の美術』は、上下2段に分けられた上段の主題が「トラディティオ・レーギス(ペテロへの法の授与)」であることがはっきり読み取れる。キリストは丘の上に立ち、左手に巻物を広げ、右手をパウロの方に伸ばす。
下段中央には、天国の四河川の流れ出る丘の上に神の子羊が立つ。左右両端の2都市、エルサレムとベツレヘムからは、おのおの3頭の羊が出てきて、神の子羊を仰ぎ見る。上下段とも、他の多くの金彩ガラスに見られるように、開いた花、大小のつぼみ、葉で空間が満たされており、そこが天上的空間であることを示すと同時に、工芸品としての装飾的性格を表すという。
人の顔や衣装などの線や、ヤシの葉のギザギザなどが、先まで細かく表現されている。どんな道具を使ったのだろう。
金箔は軽いので、ちょっとした空気の動きにもふわふわと浮かんでしまう様子を何かの番組で見たことがある。安定させるには、金箔を土台のガラスに貼り付けたら良いのだろうが、貼り付けてしまうと、地の透明な分を掻き取るのが大変だろう。
聖女アグネス、ガラス杯底部 4世紀半ば 金彩ガラス 直径7.7㎝ ローマ、パンフィロのカタコンベ出土
同書は、金彩ガラスの器は、ガラスとガラスの間にはさみ込まれた薄い金箔に切り紙状の装飾を施したものである。
両手を挙げて祈る女性の立像が表現される。彼女の頭部の左右にはAGN-NESと銘が分かち書きされ、また頭光(ニンブス)を帯びていることから、殉教聖人アグネスであることが知られる。聖女アグネスはローマの守護聖人として最も崇敬され、彼女を主題とする多くの美術作品が制作された。なかでも金彩ガラスでの彼女の人気は秀でているという。
サンタニェーゼ教会のカタコンベでは見かけなかったのに、他のカタコンベでアニェーゼの金箔ガラスのメダイヨンがあった。ローマの守護聖人だとは知らなかったが、何故守護聖人の墓が城壁の外にあるのだろう。
アウレリアヌス帝(在位270-275)による城壁の造営(271年)以前に作られて、その内側に取り込まれたものを除き、すべてのカタコンベは城壁の外に存在する。これは、ローマ最初成文法である十二表法以来の伝統に基づき、都市内部での埋葬が禁じられた結果であるという。伝染病を防ぐ目的があったと聞いたことがある。
3番のバスで何度かくぐった城壁はアウレリアヌス帝が築いたものだったようだ。城壁についてはこちら
両手を広げるのは「オランス」と呼ばれる、キリスト教美術以前からある立像の一種だ。両腕を挙げて祈るオランスは、救済された魂一般の象徴という。
考えてみると、金箔ガラスのメダイヨンも金箔ガラステッセラも、2枚のガラスの間に金箔を挟んだゴールドサンドイッチグラスである。
金箔ガラステッセラの作り方について、『ガラス工芸-歴史から未来へ展図録』は、吹きガラスで膨らんだガラスを割いて開くと板ガラスができるが、これへ薄くのばした金とガラス膜を熔着させて、冷却後にガラス切りで1㎝角ほどの大きさに切断する。裏面に壁面へ取り付けたモルタルが付着しているという。
金箔ガラステッセラがこのような製法だとすると、金箔ガラスのメダイヨンは、小さなガラスの円板に金箔を貼り付けて何かの場面を刻み、それに溶けたガラスをつけて、容器の形に膨らませるというような作り方だったのだろうか。
※参考文献
「世界美術大全集7 西欧初期中世の美術」(1997年 小学館)
「キリスト教の誕生」(知の発見双書70 ピエール=マリー・ボード 1997年 創元社)
「大英博物館の至宝展図録」(2003年 朝日新聞社)
「ガラス工芸-歴史から未来へ-展図録」(2001年 岡山市立オリエント美術館)