掘仏寺址の四面石仏は、思っていたよりもずっと大きいものだった。柵があって近づけないが南面の二立像も私より背が高いかも。
周囲に礎石があるので、かつては建物の中に置かれていたか、少なくとも屋根が架かっていたようだ。 四面といっても自然の大岩のため、各面が均一ではない。南面は三尊像が浮彫されていたのが、一部が崩れて一体がなくなったとも思えない。『慶州で2000年を歩く』で武井氏は南は釈迦三尊仏と考えられているが、よくわかっていないという。これは四面石仏が四方仏とすると釈迦三尊像と考えざるをえないということだろう。
右は左手に壺を持っているので観音菩薩と思われる。この像は、国立慶州博物館野外展示の観音菩薩立像と似た着衣だが、慶州博像ほどには装飾的ではない。そしてどこが違うかというと、慶州博像は腰や膝に垂れる天衣が曲線なのに対し、この菩薩は膝の天衣がV字形になっていることである。
左側も菩薩かと思ったが、通肩の如来のようだ。衣文がかなり形骸化しているが、大衣の裾がV字形となっている。左右対称に手を挙げているので、もともと二立像として造られたものだろう。 V字形の裾は塔谷(タップゴル 탑골)磨崖彫刻群の中で特異な丸彫仏立像の着衣によく似ている。この像は肩の後ろから頭部と一体となった頭光が彫り出されている。
その着衣は、体の動き同様にぎこちないが、掘仏寺四面石仏南面の二立像と同じ頃に制作されたのではないだろうか。 これらの像よりも、国立慶州博物館野外展示の頭部のない仏立像の着衣の方がこなれた作風に見える。
どちらが時代が古いのだろうか。
※参考文献
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)