ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2008/03/07
談山(かたらいやま)へ
修復中の権殿の前を通り抜けることができないため、一段低いけまりの庭まで下りた。
「けまりの庭」という名前は現在春と秋に「けまり祭」がおこなわれる庭。もちろん中大兄皇子と中臣鎌足が出会った蹴鞠会が行われた庭ではなく、鎌足没後に定慧が建立した。蹴鞠会があったのは飛鳥・法興寺と、談山神社のしおりより。法興寺って今の飛鳥寺やん。けまりの庭に下りたら左側の石段を上り返した。 元和5年(1619)造営の閼伽井屋の右に御破裂山への登り口がある。 では登山開始。といっても談山(かたらいやま)までは10分ほど。いったいどこに頂上があるのだろうというような登山道。
6分で分岐に来た。え?あと30m?30mもあるのだろうか?階段を上ったら広場のようなところに着いた。一応これが談山の頂上らしい。直径10mくらいで、槍ヶ岳の頂上よりは広い。 かたらい山というのはなかなか名前が良いが、何をかたらったかというと、『多武峰縁起』によれば、「蘇我入鹿の暴逆をいかにせん ・・略・・ 中臣連、皇子をひきいて城東の倉橋山の峰に登り、藤花の下に反乱反正の謀を談ず」と記されています。この談合により、皇極4年(645)飛鳥板葺宮で蘇我入鹿を討ち、中央統一国家及び、文治政治の完成という歴史的偉業を成し遂げられました。多武峰はこの後、談峯・談い山・談所が森と呼ばれるようになり「大化改新談合の地」の伝承が残りました。現在の談山神社もここからきていますという。
山林の中の目立たない頂上なので、ここなら密談にうってつけだろう。
※参考文献
談山神社のしおり